ルカの福音書15章は、なんと愛に満ちた箇所でしょう。イエス様の口から、このような例え話を聞くことができるとは、なんと幸いなことでしょう。最初は、失われた一匹の羊の例え話、2番目は失われた1枚の銀貨の例え話、そして、最後は失われた息子の例え話です。いずれの例え話でも、失われたものが見出された時の喜びが強調されています。失われた羊を探し回る羊飼いは、とうとう、迷子の羊を見出しました。すると、羊飼いはその羊を自分の肩にかついで、群のところに帰るのです。羊飼いは、探し回ってどんなに疲れていたことでしょう。それなのに、羊を自分の肩にかついで帰って来るのです。そして、友達や近所の人たちを集めて、「いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください」というのです。そして、イエス様は、その例え話を解き明かされました。「同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない99人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです」と。次は、失われた1枚の銀貨ですが、持ち主が念入りに探して、とうとう銀貨を見つけるのです。すると、持ち主は友達や近所の人たちを集めて、「なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください」というのです。そして、イエス様は、この例え話を解き明かされました。「同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです」と。そして、最後の二人の息子の例え話です。今までの例え話とは違って、この弟息子は、恵まれた環境で育てられたにもかかわらず、自分の意志で、親に反抗し、自分勝手な要求をして、家を飛び出した息子です。しかし、その弟息子を父親はひたすら家に帰って来るのを待ち続けたのです。しかし、弟息子は、父親の心を顧みることなく、放蕩の限りを尽くして全財産を使い果たしてしまいました。そして、困窮のどん底で、父のところに帰ろうと決めたのです。ところが、まだ家までは遠かったのに、毎日、外に出て息子が帰って来るのを待ち続けた父親の目にとまったのです。父親は全力で息子の方に走りました。そして、息子を抱きしめ、口づけしたのです。それから、息子がお詫びのことばを言うか言わないうちに、しもべたち命じました。「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから」と。ここでは、イエス様はあえて、この例え話の解き明かしはしませんでした。すでに、この例え話そのものが、父なる神様の愛の解き明かしだったのです。父なる神は、放蕩息子であり、放蕩娘である、私たちの帰りをいつも待っておられたのです。そして、私たちが帰ろうと決断した時に、父なる神様の方から駆け寄ってきて抱きしめ、口づけして、息子、娘として受け入れて下さったのです。愛する父なる神様、なんと大きな愛でしょう。わたしはあなたの息子、娘としてふさわしい者ではありませんでした。それにもかかわらず、限りない愛のこころで、私たちを赦し、御国の家族として受け入れて下さいました。私たちの永遠の居場所、永遠の故郷は、父なる神のみもと、神の家族の待つ場所です。私たちに永遠の居場所、永遠の故郷を準備してくださった御子イエス様、そして、御父をほめたたえます。

清宣教師