エルサレムの神殿での出来事です。金持ちたちが献金箱にジャラジャラと大きな音をたてて献金を投げ入れていました。当時、神殿の婦人の庭には13個のラッパ型の献金箱が設置されていたといわれています。そこに一人の貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を投げ入れました。現代の日本の貨幣では、10円銅貨のようなお金でした。しかし、イエス様は、あの金持ちたちは、ありあまる財産の中から一部を捧げたけれども、この貧しいやもめは乏しい財布の中から生活費の全部を捧げたと言われました。神様はすべてをご存じであり、人々が見るところ、うわべの判断とは異なることを示されました。さて、当時の神殿は巡礼者にとって壮麗で不滅の建物のように見えました。そこにいた人たちも、神殿の建築物のすばらしさについて話していました。そのとき、イエス様は、これらの神殿の建物が崩れ去るときが来ると預言されました。それを聞いた人々は、驚いて、「そのようなことはいつ起こるのでしょうか。どんな前兆があるのでしょうか」と尋ねました。そこでイエス様は、まず、偽キリストが現れたり、偽預言者が現れます(8節)。そのあと、民族間、国家間の対立、大地震、疫病や飢饉、天変地異などが起こることを告げられました(10節~11節)。しかし、それらのことが起こる前に、キリスト者に対する大迫害が起こることをも明らかにされました(12節~19節)。そしてエルサレムの崩壊が現実となった時には(20節)、滅亡が近いことをさとり、エルサレムの都を脱出して、山に逃げるようにとの指示を与えられました(21節)。そしてこの預言は、紀元66年の末から67年の初めにかけて、シリヤ総督セスティウヌス・ガルスのローマ軍がエルサレムを包囲しました時に成就しました。。その時、イエス様の指示を憶えていたキリスト者たちは、ヨルダン川を渡って山へ逃れました。そして、エルサレムの都は、ティトウスに指揮されたローマ軍によって5か月間も包囲された後、ついに陥落しました。捕虜として連れ去られたイスラエル人の数は9万7千人、死者は110万人に達したと言われています。陥落後のエルサレムはローマの植民地となりましたが、130年ごろ、ユダヤ人の移住が許可されるようになったと言われています。その後、7世紀になると、エルサレムは、イスラム教徒に占領され、それ以後、長い間、彼らの土地となっていました。そののち、19世紀末からユダヤ人たちはシオニズム運動をおこし、パレスチナ入植がはじまりました。そして、1948年、イスラエル共和国が誕生しました。さて、イエス様は、エルサレムの都の崩壊と世の終わりの時とは違うことを明らかにされたうえで、再び、終わりの時について言及されました。日と月と星とに前兆が現れ、もろもろの天体が揺り動かされ、人々が大混乱に陥っているとき、イエス様が栄光をおびて、雲に乗り、再臨されることを明らかにされました。最後に、世の終わりに向かって信仰者が備えをすべきこととして、3つのポイントを示されました。ひとつは、イチジクの木の例えを用いて、時の終わりのしるしを見分けて神の国が近いことを知ること、ふたつは、自分自身に注意すること、第3に、祈ることを怠らないことです。さて、当時の民衆はみな、朝早く起きて、イエスが教えておられる宮に集まったのでした。私たちも、主のみことばを求めます。

清宣教師