ヨハネの福音書9章です。1節に[道の途中で]と記されています。どこからの途中でしょうか?8章59節に、暴徒たちが石をとってイエスに投げつけようとしたので「イエスは身を隠して、宮から出て行かれた」と記されています。命を狙われて宮から出て行かれる道の途中であったことが分ります。道端に、生まれつき全盲の人がいました。道端で乞食をしていたようです。すると、弟子たちがイエス様に質問しました。「この男が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」この質問は、当時、ごく当然の質問でした。このような苦しみは理由のないものではなく、神からの刑罰であり、罪の結果であると考えていたからです。つまり、「現在の不幸」と「過去の罪」を天秤にかけて釣り合うと、納得するのでした。その過去の罪が、本人のものなのか、でも、生まれつきと言うことから考えると両親の罪かも知れないと考えたのです。これが弟子たちや、当時の一般の人たちの思考パターンでした。ところが、イエス様がお答えになられたことは、誰も予想することが出来なかった内容でした。この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」「現在の不幸」と「過去の罪」を天秤にかけるのではなく、「現在の不幸」と「未来の栄光」を天秤にかけたのです。イエス様の救いの福音は、ただ、恵みにより、罪を赦し、神の栄光をもたらすものです。主イエス・キリストを信じるなら、この「地上での不幸」は、ことごとく、「未来の栄光をもたらすもの」に変わります。すべての問題を解決してくださるのは、イエス様です。今、困難や不幸の中にあるなら、イエス様を見上げてください。主イエス様は近くにおられます。イエス様に信頼するなら、神のみわざを見るのです。過去の罪を見るのではなく、十字架の赦しを見るのです。そこに唯一の解決があります。あなたは神様の尊い作品です。あなたは、神様の計画の中心に置かれています。あなたは愛されています。あなたの存在は、神様にとってかけがえのない存在です。いま、どのような状況の中にいるとしても、あなたに対する計画は変わりがありません。あなたは、主イエス様にあって、「将来」と「希望」と「平安」が約束されています。主イエス様のもとに行くなら、あなたは必ず、神の栄光の中にいれられます。主が祝福をもって解決して下さいますように、お祈りいたします。

清宣教師