ヨハネの福音書18章です。今日の聖書箇所は、ケデロン川の向こう岸にあるゲッセマネ(訳せば、油しぼり)の園です。イエスは弟子たちと共に、そこに行かれ、いつものように、お祈りをされました。裏切り者のユダは良くその場所を知っていたので、兵士や役人たちを、その園に連れてきました。イエスはご自分の身に起こるであろうことを、すべて知っておられました(4節)。それで、ご自分から先頭に立って出て行かれ、役人たちに向かって、自分を逮捕するために来たのなら、弟子たちは去らせてほしいと言いました(8節)。イエス様は弟子たちをかばわれました。ところで、弟子のひとり、ペテロは、むこうみずに剣をもって大祭司のしもべを撃ち右に耳を切り落としました。ペテロとしては自分の力でなんとか、この危機的な事態を解決しようとして勇気をもって打ちかかって行ったのです。しかし、これは、解決どころか、イエス様を逮捕しに来た者たちに対して、反乱の首謀者という絶好の口実を与え、さらに、弟子たち全員の逮捕という口実を与えかねない暴挙でした。一隊の兵士とは600人ぐらいを指すと言われています。事態を解決するどころか、事態を悪化させただけにすぎなかったのです。そこで、イエス様は、すぐ、行動に移られました。大祭司のしもべの右耳に触られて、完全に癒されました。血のあともなく、文字通り、何もなかったかのように癒されました。こうして、彼らに口実を与えることなく、ご自分だけを連れて行かせました。ペテロは勇気を奮ってしたつもりですが、真の解決ではなく、かえって事態を悪化させただけでした。私たちも、自分の手で、あるいは力で解決しようとする時があります。しかし、それは、自分だけでなく教会全体を危険に陥れることもあります。しかし、感謝な事は、イエス様は私たちの失敗を覆って下さるお方です。危機的な事態を解決してくださるのは、イエス様です。私たちのことばや行動ではありません。ところで、ペテロはそのあと、ひそかに、大祭司の庭に入り込み、事態の推移を眺めておりました。突然、「あなたもあの人の仲間だ」という、周りの人たちの訴えに対して、それを否定しました。最初は、「そんな者ではない」といいました。2度目には、さらに強く否定しました。他の福音書を見ると、3度目には、もし私が嘘を言っているなら呪いを受けても良いという誓いまでして、イエスを否定したと記されています。サタンの戦略は、最初は、このくらいなら良いだろうという、ごく小さな嘘をつかせ、次に、さらに大きな嘘をつかせ、最後には取り返しのつかない嘘をつかせるという戦術です。こうして、クリスチャンといえども、嘘を撤回することが出来ないように仕向けるのです。しかし、イエス様は、このようにサタンの戦術にかかり、すっかり、嘘に縛られてしまっているペテロを見捨てることはありませんでした。むしろ、積極的に、ペテロにアプローチして下さり、その裏切りの罪を赦し、罪の束縛と罪責感から解放してくださいました。そして、もう一度、弟子として遣わしてくださいました。イエス様だけが、すべての問題を解決してくださるお方です。イエス様だけがあなたの罪を赦し、クリスチャンとして再び遣わしてくださいます。すべての問題は祝福の門口です。そういえるのは、イエス様が、共にいてくださるからです。

清宣教師