ヨハネの福音書、19章です。きょうの聖書箇所は、暗やみを打ち破る、救いの十字架の栄光が見られる個所です。イエスはご自分で十字架を負って、城外の処刑場へと歩まれました。最期まで、人類の贖いという使命をまっとうされました。今日の箇所には、「聖書が成就するため」という記述が、3度も、繰り返し、出てきます。聖書とは、この場合、旧約聖書のことです。紀元前1400年から400年にかけて書かれた旧約聖書のことばが成就したことを強調しています。神のご計画が成就したのです。そして、イエス様は、2000年後の私たちのために、執り成しの祈りをしてくださいました(17章)。かつて、旧約聖書のみことばが、400年から1400年後に成就したなら、新約聖書のみことばが2000年後の私たちに成就しないはずがありません。「聖書が成就するため」と福音書の記者ヨハネは、3度も繰り返して記しました。イエス様は、「完了した」(30節)と宣言されました。私たちの罪は贖われました。私たちは、神の作品として、神のこどもとして、贖われました。イエス様も、父なる神様も、聖霊様も、私たちが神のご計画の中心にいることを知るように願っておられます。主イエス様は、まことのブドウの樹です。そして、私たちは枝です。枝が幹に結ばれている限り、豊かな実を結びます。「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです」(ヨハネ15章8節)そして、その前に、「あなたがわたしに留まり、わたしのことばがあなたがたに留まるなら、何でもあなたがたの欲しいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15章7節)と記されています。これらのイエス様のことばは、私たちにおいて成就するのです。それが、父なる神様の御計画です。主が私たちひとりひとりの信仰をリバイブして下さり、この日本の教会を、そして私たちの教会をリバイバルへと導いてください。

清宣教師