ヨハネの福音書20章です。15節ですが、「イエスは彼女に言われた。『なぜ泣いているのですか。誰を探しているのですか。』」マリヤは、悲しくて、悲しくて、寂しくて、寂しくて、泣いていました。突然、だれかがそばに来て、声をかけてくれました。しかし、心の悲しみ、寂しさは、まったく癒されませんでした。しかし、イエス様が、「マリヤ」と呼びかけられた時、マリヤは、あの懐かしいイエス様の声であることに気付きました。その方こそ、イエス様でした。彼女はそれと気づいて、いつものように、『ラボニ』(先生)と答えました。緊張と不安から解放されたマリヤは、安堵と平安から、心の底から涙がこみ上げ、そして、思い切って、イエス様の足に、しっかり、すがりつきました。そして、マリヤは、思う存分、泣き続けました。しばらくして、イエス様はいわれました。「いつまでも、すがりついていてはいけません」。そのとき、充分、慰めと力をいただいたマリヤは、みことばに従って立ち上がりました。私たちも、悲しみと寂しさと緊張と不安に襲われます。そのとき、イエス様は、そばにおられます。そして、みことばをもって、語りかけてくださいます。「なぜ、泣いているのですか? だれを探しているのですか」と。イエス様は、「わたしはあなたと共にいる。終わりの日まで、1日1日、あなたと共にいる」、と約束して下さいました。このみことばを、信仰を持って、きょう、受け取るのは誰でしょう。どうぞ、イエス様のことばを、あなたへの答えとして受け取ってください。「平安があなたがたにありますように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」(21節)。

清宣教師