使徒ペテロとヨハネは、イエス様が復活される前までのペテロやヨハネとはまったく異なっていました。姿や形は同じでしたが、中身がまったく違っていました。聖霊の力を受けて、まことに使徒としてふさわしい人となっていました。彼らは民衆を教え、イエスがキリストであることを説き、悔い改めを求めました。そして、大勢の人たちがイエスをキリストであると信じました。そのような状況の中で、宗教指導者たちはペテロとヨハネを宮の守衛長たちを用いて逮捕しました。ここで宮の守衛長といわれている人物は、当時、祭司たちの中から選ばれ、その権能は大祭司に次ぐものとされていました。ここに登場する祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちはみな、超自然的なものを否定する人たちでした。つまり、奇跡とか復活を否定する人たちでした。ですから、宮の中でイエスの復活を伝える使徒たちを野放しには出来ないということで逮捕したようです。それは民衆の面前で行われたと考えられます。それにもかかわらず5千人の人たちが信じたということは、聖霊様の著しいお働きがあったことを示しています。さて、彼らは一晩、使徒たちを留置したのち、サンヘドリン(当時の国会)に使徒たちを呼び、真ん中に立たせました。大祭司が職権上、裁判長となり、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問しました。サンヘドリンには、サドカイ人たちだけでなく、律法学者たちやパリサイ人たちが大勢、含まれていました。パリサイ人たちは、サドカイ人たちとは異なり、聖書の奇跡や永遠のいのち、復活を信じる人たちでした。それで、大祭司は、訴えの内容を復活ではなく、「何の権威によって、誰の名によって、こんなことをしたのか」という尋問の内容に変更したようです。「こんなこと」という侮辱的な言葉に対して、使徒ペテロは、あえて、「良いわざ」についてですか、と言い換えています。この落ち着いた返答は、すごいですね。それから、直球で投げ返します。「あなたがたが十字架につけて死罪にしたけれども、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。」と返答しました。さらに、詩篇のメシヤ預言を引用して、神の家を建てる者たちであるはずの「あなたがた」から「捨てられた」者であるイエスを、神はよみがえらせて神の家の「礎の石」とされたのです、と宣言しました。だから、「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は、人に与えられていないからです」と大胆に宣言したのでした。これはまさに聖霊様によって導かれた返答でした。大祭司たちは、ふたりが無学な、普通の人であることを知って、その大胆さに驚きました。同時に、そのふたりがイエスとともにいた弟子であることに気づきました。他方、癒された人が二人と一緒に立っていたので、大祭司たちは二人に返す言葉もなく、ただ彼らの権威で「いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしていけない」と二人を脅しつけることしかできませんでした。それに対して、二人は「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください」と返答しました。これで立場が逆転しました。大祭司たちこそ、神の前に問われているのです。このように使徒たちが国会の場で、大勢に囲まれて尋問を受けましたが、恐れることなく、大胆に、弁明することが出来ました。まさに、聖霊様が生きて働いておられることが分かります。二人は、こうして釈放されると、ただちに、祈りの仲間の集まりに出て、一部始終を証しました。それを聞いた兄弟姉妹はみな、心をひとつにして、創造主に祈りました。「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。しるしと不思議と癒しを行わせてください」(29節)。すると、ペンテコステの日のように、一同は、ふたたび、聖霊に満たされました。そして、信じた者たちの群れは、心を一つにするだけでなく、持ち物をも共有して、イエスの復活を力強く証しました。私たちも「この日本でイエス様の復活を大胆に証し、聖なるイエスの御名によって癒しとしるしと不思議を行わせてください」、「日本の国の暗闇の力が打ち砕かれ、御国が来ますように。そして、イエス様を信じる人たちが多く起こされますように。私たちと諸教会をペンテコステの日のように、揺り動かしてください。」と心を合わせて祈りましょう。

清宣教師