今日の聖書箇所は、ペテロたちが行った異邦人伝道について、非難の声があがったとき、どのような経緯で、教会全体がひとつの結論に導かれたを描写しています。最終的に、みなが神の御業をほめたたえた個所です(18節)。そのあと、さらに、宣教のフロントラインにおいて、異邦人への伝道の道がひらかれていった様子が示されています(21節)。また、初めて、キリスト者と呼ばれるようになった経緯も伝えています(26節)。それでは、デボーションを通して教えられたことを、分かち合いたいと思います。主はあらかじめ、コルネリオに対して、ペテロのことを「その人があなたとあなたの家にいる全ての人を救うことばを話してくれます」(14節)と、御使いを通して伝えられました。私たちも、救いを求めている方と出会うことが出来ますように、そして、大胆に福音を語ることが出来ますように。御霊は、「ためらわず、その人たちといっしょに行くように」と勧めてくださいました。常識で考えたり、周りの人たちの評価を気にすると、躊躇せざるを得ない場所、あるいは人々のところへ遣わされることがあります。そのときは御霊に聴き従いましょう。三度、「神がきよめたものを、きよくないと言ってはならない」と神は語られました。私たちは、しばしば、自分のことを「汚れた者」と告白しますが、でも、神様は、私たち一人一人を清めてくださいました。神の御子、イエス様の貴い血潮で清めて下さり、義の衣で覆って下さいました。神のみこころは、「神がきよめたものをきよくないと言ってはならない」です。私たち自分の感覚、判断ではなく、神がきよめてくださったという事実を受け入れることが大事です。他人から非難された時は、黙ってうつむくのではなく、口を開きましょう。そして、事の次第を順序正しく説明しましょう。祈りつつ、説明する時、主がみなさんを納得させてくださいます。今日の箇所では、主は、使徒たち、幻、御霊、聖書、預言者、御使いたちを通して、主のみこころを伝えておられます。いつ、どんな方法で、主が教えて下さるか分りません。主は自由に、ご自分の方法を用いて語られます。柔軟に、私たちは対応することが求められています。それでは、きょう、主の導きを求めて歩みましょう。

清宣教師