18章21節で、パウロは「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰ってきます」と言ってエペソを離れましたが、パウロは再び、神のみこころによりエペソを訪れました。今回は結果的に2年間という長期の滞在となりました。まず、エペソで出会った弟子たちに、「信じた時、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らはバプテスマのヨハネによる悔い改めのバプテスマを受けただけで、救い主イエスのことについては知りませんでした。そこで、パウロは、「バプテスマのヨハネが示していた悔い改めによる水のバプテスマ」と、「ヨハネが予告していた、やがて来るべき救い主イエスによる聖霊のバプテスマ」の違いについて教えました。罪を悔い改めるだけで救われるのではないこと、神から遣わされた救い主イエス様が十字架に掛かられて罪の贖いを成し遂げてくださったことにより、私たちの罪が赦されること、また、救い主イエス様が十字架で贖罪のわざを成し遂げられ、葬られたのち、復活されて天に戻られて、天の父なる神の右の座につかれたこと、その贖罪のみわざのゆえに、父なる神のもとから聖霊様が信者ひとりひとりに遣わされることを解き明かしました。そして、実際に、12人の弟子たちは、パウロのメッセージを聞いてイエス様の十字架の贖いのみわざを信じて、イエス・キリストの御名によるバプテスマを受けました。そして、パウロが手を置いたときに、彼らは聖霊をうけて、異言を語り、預言をするようになりました。ここで、ヨハネによる悔い改めのバプテスマとイエス・キリストの御名によるバプテスマの違いを、彼らは実際に体験したのです。パウロはいつものようにユダヤ人の会堂に入って力強く福音を語りました。しかし、ユダヤ人たちは心をかたくなにして聞き入れなかったので、パウロは、彼らのもとを去り、毎日、ツラノの講堂で福音をかたり、神の国について論ずるようになりました。それが2年間も続きました。パウロは、福音を語るだけでなく、病気の癒しや悪霊の追い出しなど、著しい奇跡をおこないました。それで、アジア州に住む人たちはみな、ユダヤ人もギリシャ人も、主のことばに接する機会が与えられました。エペソは、アジア州の通商の拠点であり、有名なアルテミス神殿がありました。そのようなわけで、アジア州の全域、つまり、スミルナ、ペルガモ、テアタラ、サルデス、ヒラデルフィア、ラオデキヤ、コロサイ、ヒエラポリスなどの住民たちが皆、パウロの宣教活動を通して、福音に接する機会が与えられたようです。宣教活動の中で、ユダヤの祭司長スケワノの息子たちが、イエスの御名を呪文のように唱えて悪霊追い出しのまねごとをしました。すると、悪霊は「自分はイエスも知っているし、パウロも知っている。しかし、お前たちは何者だ」といって、悪霊に取りつかれたものが、彼らを押さえつけ、皆を打ち負かし、裸にして傷を負わせました。それ以来、みだりにイエスの御名をつかおうとする者はいなくなりました。恐れを感じて、イエスの御名をあがめるようになったのです。こうして福音が広まり、自分たちのしていることをさらけ出して告白する者が大勢現れました。また、魔術を行っていた者たちも悔い改めて、魔術に関する書籍などを焼き捨てて、まことの神に立ち返りました。こうして、主のことばが驚くほど広まりました。その頃、デメテリオという銀細工の職人が同業者を集めて、パウロを追い出そうと計画しました。その理由は、デメテリオによれば、パウロが天と地を創造された創造主こそ、唯一の神である、と宣教した結果、手で作ったものは神ではないということで、アルテミス神殿の参拝者が減り、アルテミス神殿の銀製の模型の売り上げが減少したようです。つまり、パウロの宣教により、このアジア州の人々に大きな影響を与えたことは確かなようです。デメテリオの扇動により、暴動が起こりそうになりましたが、町の書記役の冷静な判断により、群衆を解散させたので大事にはならないですみました。しかし、パウロは、福音宣教の最終目的地であるローマに行くという志もあり、エペソを離れることを決断しました(19章21節、20章1節)。

主がともにおられるとき、エペソにおける福音宣教のように、豊かな救いの実を結びます。日本における創造論宣教が豊かな実を結ぶように、創造主がともにいてくださり、驚くべき奇跡のみわざをもってご自身を現わしてくださいますように、祈りましょう。

清宣教師