さて、きょうの24章ですが、最後の27節に、二年経っても総督のぺりクスが「ユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた」と記されていました。いかにも政治家の自己保身のために、パウロが無罪にもかかわらず、2年間も監禁されたという現実があります。しかも、さらに、そのまま、次の総督に引き渡すという無責任な態度が明らかにされています。そういえば、昨日の23章では、エルサレムの守備にあたっていた千人隊長が、総督ぺりクスにパウロの身柄を引き渡した際の手紙の文面も、千人隊長に都合よく、書かれていました。実際には、パウロを捕えて、理由なく鎖に縛り、鞭うちにしようとしたというのが事実なのに、ぺりクスへの書状には、「この者が、ユダヤ人に捕えられ、まさに殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知りましたので、私は兵を率いて行って、彼を助け出しました」と述べています。千人隊長も、自分の立場を利用して、事実を捻じ曲げて、自分に有利になるように、総督に報告しています。いまでも、日本の政治や経済界でも同じようなことが起こっていることが時々、報道されています。それが組織ぐるみで行われた場合には、権力や仲間をもたない被害者の方が、とても、悲惨な状況におかれます。テレビでは、もろもろのものが進化(?)したと宣伝されていますが、人間の自己中心の罪の性質は変わっていないことを示しています。また、24章の冒頭に紹介されているユダヤ人に雇われたテルトロという弁護士も、総督ペりクスに対して、まずは「ぺりクス閣下。閣下ののおかげで、私たちはすばらしい平和を与えられ、また、閣下のご配慮で、この国の改革が進行しておりますが、その事実をあらゆる面において、また至るところで認めて、私たちは心から感謝しております。」と述べて、自分たちに対するぺりクスの心証を良くしておいて、話を始めています。さらに、「あまりご迷惑をおかけしないように、手短に申し上げますから、寛容をもってお聞き下さるようお願いいたします。」といって、本論に入りました。その訴え方も実に巧妙でした。「この男はまるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている・・・・・」という話の展開です。「ペスト」という当時、最も恐れられた死に至る流行病のイメージを用いて、パウロの働きに対する、忌まわしいイメージをまず、印象付けようとしています。さすが、当時の最もすぐれた代理人の弁論でした。ユダヤ人の指導者には、お金があり、人脈があり、圧倒的な権力で、事実を捻じ曲げてでも、この福音宣教の働きを抑え込むことが出来る力を持っていました。しかし、主はパウロを守り、やがてはローマの皇帝の前で弁明する機会を与えられることになります。それが主のご計画であったからです。日本でも、過去、さまざまな公害訴訟があり、政府や官僚や御用学者が結託して被害の実態を隠そうとしましたが、最後には隠し通すことが出来ませんでした。それでも、多くの被害者が犠牲となりました。私たちは、御国の子として、この地に正義と平和をもたらす責任があります。全地に教会があります。全世界に主が用意された見えない霊的なネットワークがあります。そのことを信じて、この地に正義と平和が訪れますように、共に祈りましょう。

清宣教師