さて、きょうの13章では、1節~7節で、クリスチャンと政治的権力の関係について記されています。聖書の中でも珍しい個所です。当時、ローマはローマ帝国の首都でしたから、正面切って取り上げなければならない課題であったのかも知れません。教会と国家、宗教と政治の関係は、いつでもどこでも、大きな課題です。ここでは、国家の役所や役人たちも、大きな視点からみれば、神のしもべであり、神のみこころを行うために立てられているというのです。そこには、秩序というものが存在します。創造主が造られた世界には秩序があります。それはもともと、人々の生活を守り、幸せになることを手伝うしもべとしての役割を与えられています。ですから、クリスチャンも、神の秩序を尊重して、神が立てられた役所や役人たちに、いやいやながらではなく、心から従い、協力するように勧めています。そのための税金なども、きちんと納めるように勧めています。一方では、これまで述べられてきたように、すべての人は罪人であり、神からの栄誉を受けるに値しないものであることも確かです。黙示録にも登場しますが、反キリストの政府のようなものが登場する時代があります。それでも、絶対に服従すべきかという問題があります。ローマ人への手紙が書かれた当時は、まだ、ローマの官憲からの宗教的な弾圧はありませんでした。しかし、その後、時代が変わっていきます。国家権力により信教の自由が奪われ、弾圧がなされているところでも、クリスチャンは国民としての義務を果たすことが勧められています。しかし、神のみことばとクリスチャンの良心に反する命令には、国家権力によるものといえども、神のみこころに敢然として立つことが求められています。それは、使徒の働きの中で、ペテロや使徒たちが、ユダヤの国会で尋問を受けたときの答えからも明らかです。8節~10節では、人間関係の最も基本的な土台として、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばを引用して、パウロは、「愛は律法を全うします」と述べて、終末的な時代のなかにあっても、この基本的な人間関係を大切にするように命じています。11節~14節では、時代や世の中の世相が、とても暗い闇の中にあったとしても、眠りこけてはなりません。眠りから覚めるべき時が来ています、とパウロは主張します。「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、やみのわざを捨てて、光の武具をつけようではありませんか」と勧めています。クリスチャンは、キリストにあって新生し、神の子とされたのですから、昼間らしい、正しい生き方をするように勧めています。それを実行するための秘訣として、「主イエスを着なさい。肉の欲のために心を用いてはなりません。」と勧めるのです。私たちは御霊により、主イエスの新しい品性という衣をいただきました。そのことを意識することです。わたしは主イエスの真っ白な衣を着せていただいている、その特権に預かっていることを意識することです。古い肉の欲に対して従う責任を私たちは負っていません。光の武具を身に付けましょう。そのイメージを想像しましょう。あなたは、光の武具で覆われています。ハレルヤ。

清宣教師