さて、きょうのコリント人への手紙ですが、15章の最後の節にありますが、「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(15章58節)と記されています。15章全体を通じて、私たちクリスチャンたちが堅く信じている十字架と復活の福音が語られており、この福音は、単なる気休めではなく、もしそうだったら、クリスチャンは世界中で一番、哀れな者となってしまいます(19節)。しかし、復活は、多くの証人によって確認されている確かな事実です。パウロの宣教は、毎日が「死の連続」でした(31節)。しかし、復活の希望によって支えられているので、宣教の戦いを走り続けているのです。復活の教理は、植物の種のたとえでも、分るように、創造主の計画によるもので、おのおのが種粒であり、土に葬られれる時(土に種を蒔かれて)、本来の植物の姿に(天上の栄光の身体に)成長するのです。私たちは、土から造られた者ですが、天上のからだをもつように、始めから設計されているのです。「死は勝利にのまれた」というみことばは実現するのです。ですから、この地上では、孤独な戦い、失望があるかも知れませんが、「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」と、パウロは勧めています。私たちも、創造主などいないという日本の社会の中で生きています。クリスチャン一人一人の環境を見るなら、会社でも、学校でも、地域でも、創造主の存在を信じて、賛美し、礼拝しているのは、自分一人だけかも知れません。しかし、創造主が存在し、創造主のみわざはいたるところに見ることが出来ます。押しつぶされることなく、真理に堅く立って動かされることなく、主のわざに励みましょう。イエス様の愛と平和と喜びに満ちた霊である、聖霊様を心の真ん中にお迎えして、黙々として喜び、生活しましょう。私たちが置かれた場所で、イエス様の御姿を現すことです。それが私たちから周りの人へのプレゼントです。私たちの労苦は必ず、実を結ぶ時が来るからです。

清宣教師