さて、今日からガラテヤ人への手紙に入りました。このガラテヤ人への手紙は、小アジアの中央に位置するローマ帝国の属州としてのガラテヤ地方の教会に宛てられた手紙です。その地方に含まれるのは、アンテオケ、イコニオム、ルステラ、デルベなどの町々です。パウロの第1回伝道旅行の際に設立された教会です。パウロが教会の基礎を築いたあと、やがて、ユダヤ人の律法主義者が、キリストを信じる信仰だけではダメで、異邦人も割礼を受けて、律法を守らなければ救われない、というような教えを、ガラテヤの諸教会に持ち込んできたのです。これらの偽使徒たちは、イスラエル人としての血筋や学識を誇り、パウロを批判し、パウロが12弟子のひとりではなかった点を指摘して、パウロの使徒職について疑問を呈して、ガラテヤの諸教会を、パウロが伝えた福音から引き離そうとしていたのです。このことに、非常な危機感をもったパウロが、ガラテヤの諸教会に宛てて手紙を書いたのが、ガラテヤ人への手紙です。ですから、内容的には、ガラテヤの教会に忍び込んだ偽使徒たちの教えに対する戦いの手紙です。

全体を概観すると、1章と2章では、パウロは自分の使徒職は、神の選びによるものであること、そして、パウロが伝えた福音こそ、唯一の福音であることを論証しています。3章と4章では、ユダヤ主義、律法主義に逆戻りしようとしていたガラテヤの教会に対して、神の救いの計画を旧約聖書の中から解き明かし、神の恵みの中にこそ、留まるように訴えています。5章と6章では、古い自分に死んで、御霊によって生きる新しい人生、つまり、互いに愛し合い、キリストの律法を完成する生活を徹底するように勧めています。

さて、やがて、キリスト教はローマの国教となり、カトリック教会が支配する時代となります。そこで、キリスト教の中身は、大きく変質して、「行いによる義」が強調され、聖書の教えよりも、教会の指導者の教えが聖書の教えに優先するようになりました。そして、聖書は、一般の信徒たちの目からは完全に隠されて、聖職者という専門家の所有物となりました。一般の信徒たちが聖書を読んだり、教えたりすることは重罪として処刑されるようになりました。教会の伝統の中に、さまざまな異教的な思想や祭りが取り入れられ、「キリスト教」という巨大な宗教組織が産みだされました。そこで、主はかつて、パウロをユダヤ人の中から選ばれたように、主は今度は、カトリックの修道僧の中からマルチン・ルターを選ばれました。そして、時至って、マルチン・ルターは宗教改革を起こしました。そのとき、マルチン・ルターの心を大きく動かしたのが、このガラテヤ人への手紙に記されている福音でした。ルターは、ガラテヤ人への手紙を、「自分の妻」と呼んで愛していました。かつて、パウロは、キリストの熱烈な迫害者でしたが、キリストの愛によって、完全に変えられました。キリストの福音をいのちがけで伝える者に変えられました。180度の転換でした。ルターはカトリックの修道僧でしたが、罪人のために死なれたキリストの愛によって、宗教改革の旗手として、いのちがけで福音を伝える者に変えられました。180度の転換でした。キリストの愛は、罪人を救いだし、まったく新しい人に変えてくれます。キリストの福音は、罪人を救いだし、御霊による新しい人生へと生まれ変わらせてくださるのです。

清宣教師