まず、1節~13節の個所を取り上げます。きょうの最初のことば、なんだったでしょうか??もしかしたら、覚えていない??急いでいると、何気なく、読み過ごしてしまいますね。でも、今日のところは、とても、大事です。なんということばでしたか?「無益なことですが」で始まっています。今日の箇所では、これから述べることは「無益なことです」という大前提で始まるのです。このことばを見逃してしまったら、今日の箇所の解釈が間違ってしまいます。使徒パウロは、「無益なことである」との前提のうえに、「主の幻と啓示」のことを紹介しているのです。なお、「キリストにあるひとりの人」とはパウロ自身のことです。パウロは、「第三の天」つまり「パラダイス」に引き上げられたことがあるのです。しかし、これを紹介することは無益なことという前提に立っての話です。むしろ、パウロは、「私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。」とパウロは自分自身の体験を正直に述べています。しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、パウロは、「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」と結論付けています。神秘的な体験に心が惹かれるのではなく、私たちの弱さの中に働かれる神の栄光にこそ、私たちの心が惹かれるように願っています。主の栄光と主の働きは、私たちの弱さの中に現れるのです。ハレルヤ。14節~21節の個所ですが、パウロは、まもなく三度目のコリント訪問を計画していることを明らかにしました。そして、「あなたがたに負担はかけません。私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のためにたくわえる必要はなく、親が子のためにたくわえるべきです。ですから、私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はいよいよ愛されなくなるのでしょうか。」と述べています。パウロが、これほどまでに、コリントの信徒たちに訴えているのはなぜでしょうか。悲しいことに、そこには事情があったのです。パウロは語ります。「あなたがたに重荷は負わせなかったにしても、私は、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったのだと言われます。あなたがたのところに遣わした人たちのうちのだれによって、私があなたがたを欺くようなことがあったでしょうか。」と述べています。つまり、偽使徒たちは、コリント教会の信徒たちを扇動して、パウロがコリントの教会から「だまし取っている」と思わせたのです。パウロ自身は、注意に注意を重ねて、コリントの信徒たちに経済的な負担をかけないように細心の注意を払い、同行した者たちにも、経済的な負担をかけないように注意していたのです。これは、決して自己弁護ではなく、「すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。」と語っています。どんなに誤解中傷されたとしても、これだけは確かなことです。パウロ自身は、神の前でも、人々の前でも公明正大に生活したのです。そして、最後に、悔い改めを勧めています。そして、三度目の訪問が、実りある訪問となることを願っています。

清宣教師