エペソ人への手紙に入りました。1節には、当時の手紙の形式に従い、差出人(使徒パウロ)、受取人(エペソの教会)の名前が記されています。さらに、2節では、祝福の挨拶が続きます。ところで、パウロとエペソの教会の関係について、復習します。パウロは第2次伝道旅行の帰途、エペソに立ち寄りました。そこでアクラとプリスキラ夫妻にエペソの伝道を託して、次の伝道地に向かいました。第3次伝道旅行の時は、2年半の長期にわたってエペソに滞在し、近隣の地域、近隣の諸都市に福音をもたらしました。第3次伝道旅行の帰途、エペソには立ち寄ることなく、ミルトスにエペソの長老たちを招いて、最後のお別れをしました。その後、テモテをエペソの教会の牧会者として任命しました。しばらくの後、近くのコロサイの教会には、グノーシス派の異端、御使い礼拝、ユダヤ人の律法主義、禁欲主義などの種々の異端的な教えが入り込み、危険な状態にありました。コロサイの教会の状況を心配したエパフラスは、使徒パウロにコロサイ人への指導を求めました。それがコロサイ人への手紙です。そのような心配があり、使徒パウロはエペソの教会にも手紙を書いたと思われます。エペソ人への手紙のキーワードのひとつは、キリスト、イエスということばで37回も出てきます。4-6節は父なる神への賛美、7-12節は御子なる神への賛美、13節―14節は、御霊なる神への賛美です。つまり3節~14節は、三位一体の神への賛美です。3節は、「父なる神の栄光がほめたたえられますように」と始まり、6節で、「恵みの栄光がほめたたえられるためです」と結んでいます。ところで、3節の表現、「私たちの主イエスの父なる神がほめたたえられますように」という表現から、異端のグループは、主イエスの神であるから、主イエスは、最初に造られた被造物であるという結論を出します。しかし、この表現は御子なる神と御父なる神の関係を表しているに過ぎません。繰り返しますが、ここの文脈は、父なる神への賛美(3節~6節)、そして、御子なる神への賛美(7節~12節)、御霊なる神への賛美(13節~14節)がなされており、父と子と聖霊なる神が等しく賛美されるお方となっています。さて、3節で言われている「すべての霊的祝福」とはなんでしょうか?それは、5節の「私たちをご自分の子として下さる祝福」、次に、7節の「御子の血による贖いと罪の赦しの祝福」、さらに、11節の「御国を受け継ぐものとなる祝福」、そして、13節の「約束の聖霊をもって証印を押された祝福」です。5節の[ご自分の子にしようとして]とは、養子縁組のことです。イエス様は御子、実子です。私たちは、御子を通して養子となり、神の子とされたのです。私たちは天地創造の前から、父なる神の御計画の中にありました。そして、御前で聖く、傷のない者にしようとして選ばれていました。時至って、私たちは神の御計画の通りに、イエス・キリストを信じる信仰により、救われました。私たちは2重、3重の意味で、神の子です。第1に、父なる神により、神の似姿、神の子として創造されました。第2に、御子キリストのいのちの代価を払って、神の子として回復されました。第3に、御霊なる神が、私たちの保証(手付金)となり、御国の子としての刻印を押してくださいました。こうして、3重の意味で、三位一体の神のお働きにより、絶対不変の約束をいただき、いま、この地上で生かされているのです。主を賛美します。アーメン!15節~23節は、祈りです。15節~19節では、父なる神が、神を知るための知恵と啓示の御霊を与えて下さるように祈り求めています。21節の「支配、権威、権力、主権」とは、天使たちの階級を示す用語であると言われています。例えば、軍隊には、大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉などの階級があります。それと同じように階級であると言われています。キリストは、それらの天使たちのすべての階級の上にあるものであることを示しています。父なる神は、このイエス・キリストを教会にお与えになられました。それは、教会を通して父なる神のみこころが、すべて実現するためです。教会は天上でも、地上でも、なすべきことが非常に大きいことを示しています。神の永遠の御計画の中で、この地上であらゆる権威をもつものとして、私たちが建てられています。教会とは、神の永遠の御計画の担い手として、私たちの召し、受け継ぐべきもの、私たちひとりひとりに働く神の優れた力の偉大さを、より深く知る必要があるのです。新型コロナウィルスの蔓延が世界中の人々を恐怖に陥れている今こそ、世界中の人々が、人間の無力に気づき、ついで、神の偉大さに気づき、キリスト・イエスにある救いに導かれるように、天の権威をもって大胆に祈るときです。なんと、やりがいのある大切な使命でしょう!

清宣教師