エペソ人への手紙の前半の1章~3章では、キリストの体としての教会を通して、ユダヤ人も異邦人もすべての者が一つにされるという神の永遠のご計画が示されました。そして、1章~3章の締めくくりとして、パウロは頌栄で閉じています(3章21節)。エペソ人への手紙の後半の4章~6章では、教会という共同体における各自の生活、人生のありかたについて勧めがなされています。キーワードは「歩め」という表現です。4章1節では、「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」と記されています。神の永遠のご計画は、キリストの体の一員として召されたひとりひとりのクリスチャンによって実現されます。ですから、ひとりひとりが、どのように歩むかがカギとなるのです。4章17節、5章2節、8節、15節にも、「歩みなさい」と繰り返し、記されています。まさに、新型コロナウィルスが世界中に蔓延して、私たちはいま、第2次大戦後の最も大きなインパクトを与える出来事の中に置かれています。このような時に「キリストに召されたものとして、どのように歩むべきか」というピッタリのメッセージを主が備えてくださいました。では、具体的に見ていきましょう。1節~3節、「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」。いま、新型コロナウィルスの蔓延を防ぐため、不要不急の外出が止められており、家庭の中ではストレスがたまり、家庭内暴力の頻度が高まっていると言われています。私たちにとっても訓練の時です。神の子供たちとして召された私たちには、神のみこころを行うという特別の使命があります。特に神の家族の一員として召されたのですから、謙遜と柔和、寛容と愛、忍耐と平和のきずなで結ばれ、御霊の一致を保つという使命があります。さて、キリストのからだは一つ、御霊もひとつ、望みもひとつ、信仰も一つ、・・・目的もひとつです。ですから、特に教会内の神の家族として、キリストのからだを建てあげる、という共通の目的をもっているのですから、一致がもとめられています。さて、キリストは、天に上られて、地上での教会を建てあげるために、もろもろの賜物を分け与えられるとともに、教会の建て上げのために、使徒、預言者、伝道者、牧師、教師という奉仕者を定められました。教会は、キリストを礎石として、使徒たちや預言者という土台の上に建てられるのです。そして、牧師や教師が、羊飼いとして、教会の信徒たちを養い、教会を建てあげるのです。こうして、教会は、「信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」のです。また、「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです」。時代が変わろうとも、状況が変わろうとも、神の民の一員として召された者たちの使命は変わりません。この世における逃れの場、心のオアシス、箱船として教会を建てあげる使命があります。ですから、もはや、私たちは古い生き方の中へ戻るようなことがあってはならないのです。真実を語る人、憤りを治めることが出来る人、困っている人を助けるために勤勉に働く人、人の徳を養うのに役立つことばを話す人となるように勧められています。そして、神によって召された者、聖霊によって証印を押された者、御霊によって満たされた歩みをする者となることです。神にかたどり造りだされた、新しい生き方、新しい人として歩むことです。それらのことをまとめると、5章1節にあるように、神に愛されているこどもらしく、神にならうものとなることです。いま、多くの人が不安の中に暮らしています。ともすると、私たちも世の流れに巻き込まれ、さまざまな枝葉のことで忙しく時間をつかってしまう傾向があります。新型コロナウィルスの感染を防ぐために不要不急の外出が止められている今こそチャンスです。落ち着いて、神様との結びつきを大事にしたいと思います。そして、父なる神のみこころのとおりに、さらに御霊に満たされた人となることを目指しましょう。

清宣教師