今日は4章です。3章18節~4章1節までが人間関係に関する事柄です。すでにエペソ人への手紙5章22節~6章9節で語られたことなので、割愛します。さて、2節~6節ですが、祈りについて触れています。「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい」と勧めています。私たちはもちろん祈ります。しかし、「たゆみなく」祈ることは難しいです。ゲッセマネの園では、イエス様は12弟子の中から3人の弟子たちを選んで、一緒に目を覚まして祈って欲しいと要請しました。それはイエス様の生涯の中でも最も危機的な状況に置かれていたからです。それにもかかわらず、3人が3人とも眠り込んでしまったのです。目を覚まして、たゆみなく、祈るということが、どんなにハードルが高いことであるかが分かります。ですから、私たちも、何度か失敗したとしても、もともとハードルが高い課題であると思って、あきらめないで挑戦し続けることが大切だと思われます。チャレンジしましょう。次にパウロは、自分自身のためにも、福音の宣教において奥義を、大胆に、明瞭に語れるように祈りの支援を要請しています。次に、特に教会外部の人たちに対して賢明にふるまい、伝道の機会を十分に生かせるように、やさしく親切なことばを用いて対応するように勧めています(6節)。7節~9節は,同労者であるテキコとオネシモの派遣のことです。パウロは同労者のテキコに手紙を託してコロサイの教会に送ることにしました。手紙には書ききれないたくさんのことがありますから、テキコがそれらの一部始終を知らせることになるので、コロサイの教会の人たちが多くの励ましを受けることになる、と確信しています。テキコに同行することになっているオネシモは、かつてコロサイから逃亡した奴隷でした(ピレモンへの手紙8節~20節参照)。テキコは不思議な導きでパウロのもとでクリスチャンとなりました。今や主人であるピレモンのもとに帰ろうとしているのです。パウロは、オネシモを「忠実な愛する兄弟」と呼ぶだけでなく、ピレモンに対してテキコは「仲間のひとり」なのだと念を押して、かつては悪事を働いたかもしれないが、いまは、兄弟として、仲間のひとりとして受け入れてほしいという、至れり尽くせりの執り成しをしています(7節~9節)。10節~14節は、パウロと共にいる6名の者たちの名を挙げて、挨拶しています。アリスタルコ、マルコ、ユスト、これらの3人は、割礼を受けたユダヤ人でした。エパフラス、ルカ、デマスの3人は異邦人でした。アリスタルコは、パウロがローマに護送されるときにも共にいて、パウロと牢獄を共にしている頼もしい人物でした。マルコは、一時、パウロが役立たずという評価を下した人物ですが、いまはその評価を見直しつつありました。のちに、パウロは、マルコのことを私の務めに役に立つ者という評価をしています。異邦人のエパフラスは、コロサイの教会だけでなく、ラオデキヤの教会やヒエラポリスの教会のためにも非常に労している人でした。あるいは教会の監督の立場にいたのかも知れません。ルカは愛する医者ルカといわれているように、パウロの伝道旅行に付き添い、パウロの健康管理に大きく貢献したようです。次にデマスですが、パウロと行動を共にしていましたが、残念ながら、その後、世を愛しパウロを捨てて他の町に行ってしまったことが分かっています(テモテの手紙第2、4章10節参照)。15節~17節は、コロサイの北西約16キロにあるラオデキヤの教会にも、この手紙を回すように、また、ラオデキヤ教会から回ってくる手紙を読むように指示しています。最後の18節は、終わりの挨拶と祝福のことばです。パウロ自身が手紙の最後を自筆で締めくくっています。パウロ自身の手紙であることを証しするものです。そのとき、パウロの手は、鎖につながれていたことを思うと、「牢につながれていることを覚えていてください」という祈りの要請に対して、コロサイの教会の人たちは、どんなにか真剣に祈ったこととと思われます。さて、4節において、パウロは、福音の宣教という大事な働きのために、自分が、大胆に、明瞭に福音の奥義を語ることができるように、祈りの支援を要請しています。私たちも、牧師のために、創造論宣教師のために、サンキュウタイム(午後3時と9時)に祈りましょう。宣教の最前線で臆することなく大胆に語れるように祈りましょう。

清宣教師