さて、パウロは、まず、ピリピでの激しい迫害にかかわらず、テサロニケで福音を伝えました。そして、それは無駄ではありませんでした。テサロニケの教会が誕生したからです。では、パウロは何度、迫害されてもなお、福音を伝えるのかというと、福音を委ねられた者として、神のみこころを行うためであり、それが神を喜ばせるものとなることを知っているからです。パウロはここで、自分のことを弁明していますが、あくまでも、福音がそしられることがないようにとの心から出たものでした。パウロは、人を喜ばせるのではなく、神を喜ばせるということを優先順位の第1とすることを、片時も忘れない人でした。(1節―6節)。次に、7節~12節では、パウロは、母がその子たちを養い育てるように優しく振舞ったこと(7節)、また、父が子たちに対してするように、励まし、訓戒したことを思い起こさせています(11節、12節)。パウロは、当然持っていた権利を放棄して、終日、働いて自給伝道をしましたが、それは彼らに負担をかけないためでした(8節、9節)。また、働きたくない教会の人への模範としての生き方でもありました。また、パウロは金銭めあてで、伝道していると言われることがないようにとの配慮からでした。テサロニケの教会の信者たちに対して、敬虔に正しく責められるところがないように生活したのです(10節)。実は、パウロは、伝道者として、投獄、鞭うち、石打ち、寒さ、野宿、疲労など、外からの艱難がありました。それだけでなく、教会の中では、非難や誤解、中傷や誹謗をうけたのでした。使徒としての権威は疑われ、愛の心は、自分たちを支配するのではないかと憶測され、諸教会から献金を集めようとすると、だまし取ったと中傷されたのです。パウロの行動のすべてが、攻撃されたのです。現在でも主の働き人は、似たような経験をすることを覚悟しておくことが必要です。13節~16節では、パウロは、たとい厳しい迫害があり、人々から苦しめられたとしても、テサロニケの教会の人たちのように、福音を神の使信のことばとして受け入れる人がいるかぎり、その喜びのゆえに、迫害に屈することなく、前進することが出来るのです。そこに神のみわざを見ることが出来、慰めを受けるからです。17節~20節では、テサロニケの教会の人たちと再会したいという強い願いが記されています。しかし、サタンがそれを妨害しました。地上での別れは、天の御国での永遠の再会と比較すれば、とるにたりないことです。主イエス様が再臨される時には、永遠に交わりが出来るのですから。栄光の主が再臨される時、そのとき、艱難をも乗り越えて伝道したパウロが、主からいただく望みと喜びと誇りの冠は、パウロたちの伝道の実である、テサロニケの教会そのものであると、パウロは自覚しているのです。

「全き愛は恐れを取り除きます。」パウロはイエス様の愛をいただいて伝道しました。私も、イエス様の全き愛をいただいていることを自覚して生活したいです。主イエス様の十字架の贖いは完全です。ですから、キリストにある私たちにも全き愛が備えられているのです。今日も、隠れた部屋で主との1対1の交わりの恵みの中で、主イエス様から愛されていることを確認しましょう。味わいましょう。

清宣教師