さて、テサロニケの第2の手紙は、第1の手紙が書かれてから、およそ半年後、おなじコリントの町で、書かれたものと思われます。差出人の名前も、第1の手紙と同じ3人の名前が記されています。その事情ですが、パウロが、テサロニケの教会に出した手紙の中で触れた「主の日」に関する誤解が生じたようです。主の日はすでに来たと解釈する者が現われて、教会の中に動揺が起こったようです。この第2の手紙は、テサロニケの教会の人たちが再臨に関する正しい理解をもつように願って書かれた手紙です。まず、1節では、差出人、相手先を記し、2節で、挨拶をしています。日本では、手紙といえば、まず、「新緑の候」とか時候の挨拶から始まりますが、この時代、ユダヤ人はすべての季節に通用する素晴らしい挨拶のことばをもっていました。「シャローム!(平安がありますように)」との挨拶です。3節~12節は、感謝と励ましです。第1の手紙でも、「信仰の働き」、「愛の労苦」、「望みの忍耐」についてしるしていました。第2の手紙でも、テサロニケの教会の人たちの信仰が目に見えて成長していることを取り上げています。パウロがテサロニケで開拓伝道した期間はわずか3週間でした(使徒の働き17章2節参照)。それにもかかわらず、主イエスに対する強い信仰をもつようになっていたのです。また、再臨信仰も持っていました。さらに、彼らの間で相互の愛が増し加わっていることを感謝しています。愛はクリスチャンとしての最大の徳です。迫害と艱難の中にあって愛が増し加わったということは、実に感謝なことでした。さらに、忍耐について、「すべての迫害と艱難とに耐えながら」と記すほど、テサロニケの信徒たちが体得した忍耐は見上げたものでした。次に、5節~7節ですが、クリスチャンになれば悩みも苦しも病気もすべてなくなるのではないか、という望みを持つ場合があります。それはある意味、正しいことでもありますが、一面的な見方です。一方、苦しみを受けることはクリスチャンとしての特権でもあります。「キリストのために苦しみをも賜ったのです。」(ピリピ人への手紙1章29節参照)。また、イエス様ご自身が、「あなたがたは世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネの福音書16章33節参照)といわれています。テサロニケの教会の人たちは、後者の場合に相当しており、現に迫害の苦しみの中にありました。その中でも、再臨信仰をもっており、一方では迫害する者たちへの報復、他方では艱難を耐えている者たちへの報いを待ち望んでおりました。旧約聖書の中でも、神は憐れみ深い神であると同時に裁きの神であることが記されています。御子を信じるものには、豊かな永遠の報いが備えられていますが、ゆえなく神の子供たちを迫害するものには、徹底的な裁きが備えられています。不信仰な人たちは、その御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです(9節)。主イエスの再臨の日には、信者たちによって栄光を受けられ、感嘆の的となられます(10節)。11節~12節は、パウロの祈りのことばが記されています。テサロニケの教会の信徒たちのために、3つのことを覚えて祈りました。第1に、テサロニケの信徒たちを、神の召しにふさわしいものにしてくださるようにとの祈りでした。主がひとりひとりを選ばれてキリストを信じるように召してくださったのです。召しにふさわしく生きてほしいという願いです。第2に、「御ちからによって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように、」との祈りです。テサロニケの教会の信徒たちが悪を行わないだけでなく、進んで善を行うクリスチャンであって欲しいと願っています。第3に、主イエスの御名があながたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受ける」ように祈っています。当時の世界では、ローマ帝国の皇帝が、自らを神と名乗り、自分自身を最高位に置いていました。そのような状況下で、「イエスは主です」と告白することは、いのちがけのことでした。主イエスの御名が栄光を受けられるようにとの祈りと同時に、クリスチャンも栄光を受けると言われています。主イエス様は、この世の権力者、皇帝とは異なり、ご自分の民が栄光を受けることをご自分の栄光と考えておられます。きょうも、お一人お一人の上に、主の平安がありますように!

清宣教師