3章では、パウロは自分たちの宣教の働きのために祈って欲しいと要請しています。パウロは、ここで具体的に3つのことを祈ってくれるように要請しています。ひとつは、「主のみことばが、あなたがたのところでと同じように早く広まりますように。」という要請です(1節)。今、パウロが滞在しているコリントの町は、非常に世俗化した町でした。また、問題山積の教会でもありました。一方、テサロニケの教会は、信仰においても愛においても、目に見えて成長している教会でした。コリントでも同じように成長してほしいと願い、祈りの要請をしているのです。ふたつめは、「ひねくれた悪人どもの手から救い出されるように」という要請です(2節)。テサロニケでも、コリントでも、パウロは悪人たちの手によって迫害されました。ユダヤ人たちの意地悪な迫害を経験しているテサロニケの教会の信徒たちにも祈って欲しいのです。三つ目は、「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように」という祈りです(3節~5節)。主は真実な方であり、すでにテサロニケの信徒たちが実行していることを思うときに、ますます彼らが「信仰生活の勝利の秘訣である、神の愛とキリストの忍耐をもって生活していくことができるように」神に求めて祈っています。次に、締りのない生活をしている人たちへの注意がなされています。締りのない生活とは、具体的には、何も仕事をせず、おせっかいばかりする人たちの生活をさしています。パウロ自身がテサロニケの教会にいたときは、自分の手で昼も夜も働いて、誰にも負担を掛けないようにして、宣教の働きをしました。それは権利がなかったからではなく、テサロニケの兄弟姉妹に見習ってほしいと思ったからでした。そのことを思いだすようにというのです。そして、パウロは、主イエス・キリストの御名によって勧めています。「静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。」また、これと違ったことを言う人とは交際しないように注意しています(6節~14節)。同時に、このような兄弟姉妹を敵とはみなさず、兄弟姉妹として戒めるという態度が大事であることを指摘しています(15節)。最後に、「どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えて下さいますように」、「どうか。主があなたがたすべてと、ともにおられますように」と、パウロは、「どうか」、「どうか」といって、ふたつの熱い祈りを捧げています(16節)。単なる平和ではなく、迫害の中にあっても揺るぐことがない平和を求めて祈っています。そして、どんな場合でも主が共にいてくださるように、祈り求めています。そのあと、パウロは、「自分の手で」挨拶を書きます、といって自筆でサインをしました。すでに触れましたが、ある者はパウロの手紙だと言って偽の手紙を利用するような事態が起こっていました(2章2節参照)。ですから、これは正真正銘のパウロの手紙であるとの自筆のサインを示し、あえて、これが「私のどの手紙にもあるしるしです」と述べていると思われます。そして、祝祷で閉じています(17節~18節)。

私たちも、日本全国に新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が出されている今、さまざまな情報に左右されることなく、何が正しい情報であるかを見抜いて、落ち着いて、静かに、自分自身に与えられた役割(仕事)を果たすことです。また、パウロがテサロニケの信徒たちのために祈られたように、平和の主ご自身が私たちの内に揺るぐことがない平和を与えてくださり、いつも主が共にいてくださることを共に祈りましょう。

清宣教師