2章において、キリストは、クレテの信徒たちを、ご自分の民、つまり、天の国籍を持つものとして召してくださり、良いわざに熱心な者となるために召してくださったことを明らかにしています。その召しに応えるように信徒たちを立ち上げる責任を委ねられているのが、牧会者テトスでした。ところが、クレテの人たちは、「昔からのうそつき、悪いけだもの、なまけ者の食いしんぼう」といわれるほどの民族性を持つ民でした。その民族性が教会の中に持ち込まれることになれば、教会は世俗化して混乱してしまいます。それで、パウロは、牧会者のテトスに対して、2章15節にあるように、「十分な権威をもって話し、勧め、また、責めること」を強く求めました。3章1節では、これに続いて、「あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。」と勧めています。使徒パウロは、クレテ流のやり方を認めるのではなく、神の権威のもとに、神のみこころに従う群れとして、クレテの教会の改革を行うように、牧会者テトスに命じています。テトスは、過去においてコリントの教会の改革に成功した実績と力量をもっていました(コリント人への手紙、第2、7章6節~16節参照)。その実績を買われてテトスは、クレテの教会に遣わされたのだと思われます。第1に、混乱の解決のために、権威者に服従することを教えました。何故なら、創造主は最初に創造の秩序を定められました。混乱の解決のためには、まず秩序の回復から始まるのです。第2に、良いわざを進んでする者になることです。良いものを出す時に、良いものとなって返ってくるのです。第3に、だれをもそしらず、争わず、柔和であることです。人々との平和の秘訣は、悪口、陰口を決して言わないことです(1節~2節)。次に、良い模範を示すことです(3節~11節)。「私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。」とパウロは、正直に自分のことを吐露しています。決して、自分が立派な人物だったから使徒として用いられているのではない、ということです。パウロは、続けます。「しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現れたとき、神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。」と述べています。つまり、すべては、神のいつくしみと愛によって罪赦され、聖霊のお働きによって義と認められたのです。何ひとつ、自分の働きといえるものはなかったのです。そして、これは真実の証し、信頼できることばです。誰もが、キリストの恵みによって義と認められ、神の御国を相続するものとなるのです。ですから、救いにあずかる人たちがみな、この確信に基づいて生活し、主に喜ばれる良いわざに励むように願っています。これこそが有益な生き方です。一方で、愚かな議論、系図、口論、律法についての論争などは、無益で、むだなものであり、避けるべきものです。だから、これに反することを主張して分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名するのが適切な措置なのです。この手紙を終えるにあたり、いつものように、パウロは、個人的な依頼を記しています。「私がアルテマスかテキコをあなたのもとに送ったら、あなたは、何としてでも、ニコポリにいる私のところに来てください。私はそこで冬を過ごすことに決めています。」とパウロは述べています。その後、テキコはエペソへ、テトスはダルマテヤに行ったことが知られていますが、テトスがパウロの依頼に応えてニコポリに行ったかどうかは明らかではありません。次に、律法学者ゼナスとアポロのために、旅行中、不自由のないようにお世話をするように頼んでいます。外国の未知の地に旅する者にとって、いろいろ配慮して世話をしてくださる人がいることはとてもありがたいことです。ところで、キリスト者は自分自身、正しい仕事に励み、実を結ばない者にならないように心がけることが大切です。15節は、最後の挨拶と祈りです。テトスへの手紙の全体を振り返ると、テトスに対してパウロが語った牧会上の勧めは、私たち現代のクリスチャンにとっても適用されるもので、しっかり、受け止める必要があると考えられます。

清宣教師