4章における全体のテーマは、テモテが「キリスト・イエスのりっぱな奉仕者になる」ことです。1節―6節。時代が変わると、教会の中にも、惑わす霊や悪霊の働きにより、その教えに心が奪われてしまう人たちが出てきます。そして、真理から離れ、信仰から離れていくことが起こります。確かに、さまざまのカウンセリングや人間関係の解決法など、昔とは違って、たくさんの参考となる本も出版されています。ただし、目に見えることがすべてではなく、目に見えない霊の世界の戦いというものを忘れないようにする必要があります。クリスチャンが、神の家族の一員、天の御国を受け継いだものとして生きる時に、いやおうなしに、サタンの攻撃の対象となるからです。教会も、クリスチャンも天の御国の拡大のために働くものです。それは、この世におけるサタンの支配下にあるものたちを解放することを意味します。サタンが人間関係を巧みに作り上げる人たち、熱心に伝道したり、奉仕したりする人たちを通して教会を分裂させることは珍しくありません。また、ある人たちは結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたり、一見、だれよりも熱心な聖い生活をしているように見えます。しかし、それは聖書的な生き方ではないとパウロは指摘しています。例えば、食物に関しては、①食物は神が造られたものである。②神が造られたものはみな、良いものである。③食物は感謝して受け取るべきものである。だから、私たちが祈りと感謝をもって受けるなら、捨てるべき物は何一つないのです、とパウロは言います。クリスチャンは、食前にみことばを読み、祈ります。ですから、その食物は、神の御用のために聖別された食物となり、神との関係において、神からの賜物として受けることになるからです。ですから、すべての食物はきよいのです。これらのことを信徒たちに教えるなら、りっぱな奉仕者になりますと、パウロは言いました。牧師の第1の務めは、教えることであるとして、テモテには牧師としての十分な資質があると、励ましています。7節―11節。パウロは、敬虔のためになす自己鍛錬の大切さを説いています。クリスチャンの人生や生活にとって、無用な空想話や神学論争などを避けて、信仰生活のために自分を鍛えることが大事です。12節―14節。第1に、聖書の朗読、勧め、教えに専念するように勧めています。しかし、ことばだけでは影響力がありません。自分自身の生き方でも模範を示すことが大事であることを指摘しています。若いからと言って軽くみられることがないように、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の良き模範となるように勧めています。それは長老たちによる任職の按手をうけたとき、預言によって与えられた聖霊の賜物であり、そのことを軽んじることなく、つねに、保ち続けるように勧めています。15節-16節。自己管理の重要性を指摘しています。心を砕いてしっかり、自分が与えられた牧会の働きをすること、同時に、自分自身も教えた原則に従って生きるように、自己管理をすることを勧めています。そうすれば、自分自身も成長し、他の人たちをも救うという実を結ぶことになります。

清宣教師