5章の前半では、年齢の違いや男女の性差からくる問題を想定して、それを回避するための牧会的な指示がなされています。第1に、年配者に関する指示です。1.「叱ってはいけない。」という注意です。その意味は、年を取ると若いときのようには適応できないようになるもので、若い人の視点から厳しくつらく当たってはならないということです。これは男性にも、女性にもあてはまります。それは高齢者の人たちの置かれた立場を理解することにあります。高齢者は、3つの心情があると言われています。ひとつは、過去の生活と思い出から生じる心情で、成功や失敗、喜びや悲しみなどの喜怒哀楽が交差した複雑なもの、ふたつは未来から迫ってくる心情で、死の恐れ、衰退への不安、死後の家族のこと、天国のことなどが絡み合っています。3つめは、現在の状態から生じている心情で、無職、無力感、孤独などが絡み合っています。このような心情は元気でバリバリ働いている、比較的若い世代の人にはなかなか分からないものです。だから、「つらくあたってはならない」と勧められています。2.「勧める」とは、脇からやさしく話しかけるという意味です。高齢者の人生経験とその中で練り上げられた人格に対する尊敬の念を失わないことです。次に、若い人たちに対しては、男性の場合は「兄弟に対するように」、女性の場合は、「真に混じりけのない心で姉妹に対するように」とのアドバイスです。外見や直感で判断することなしに、公平に取り扱うようにとの勧めです。次に、「やもめ」にたいしては、「本当のやもめ」を教会は支援すべきであると言われています。当時は、やもめとしての登録があり、その条件が述べられています。1.肉親も身寄りもいないこと、2.年齢が60歳以上であること、3.素行や生活態度がきちんとしていること、です。初代教会では「やもめ」に関する制度があり、生涯神に仕えるという制約や教会の義務が課されていたようです。そして、永続的なやもめの誓約をしたものは、「やもめの衣装」を着用し、按手を授けられたと言われています。その後、この働きは、3世紀ごろになると、女性執事に移行されたようです。本当のやもめ以外については、教会の働きに対して害を与える場合もあり、むしろ教会からの支援がやもめの堕落を招くこともあるので、注意するように指示されています(1節~16節)。後半(17節~25節)は、長老に関する勧めです。まず、長老を尊敬すべきこと、その処遇については2倍の尊敬(通常、2倍の給与と理解されています)を表すこと、長老に対する訴えは、複数の証人が必要であること、また、長老の按手は軽々しく行ってはならないことを勧告しています。最後に、テモテへの個人的な勧めですが、長老はストレスが多い職務であり、テモテも、「たびたび起こる病気」(23節)を持っていたようです。心身ともに相当まいっていたとも考えられます。「少量の葡萄酒」は、滋養強壮のための薬用酒であったと思われます。パウロの父親のような配慮がうかがわれます。

清宣教師