さて、6章1節~8節では、当時の初代教会の基礎的な学びとして、6項目あげられています。①死んだ行いからの回心、②神に対する信仰、③きよめの洗い、④手を置く儀式、⑤死者の復活、⑥とこしえの裁き、の6項目です。おそらく、バプテスマを受ける前に学んだものと思われます。そのあと、バプテスマを受け、さらに、聖霊のバプテスマを受けたようです(事情によっては、これらの順序は前後することがあったと思われます)。しかし、こうして教会に迎え入れられた後、あえて、福音から離れたり、背教する人たちがあったようです。それは良い畑に植えられたにもかかわらず、いばらやあざみを生じるようなもので、無用なものとして引き抜かれて焼かれてしまう、と述べています。9節~20節では、私たちの希望について述べています。この中に私の大好きな聖句があります。「『わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。』こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。」(6章14節、15節)という聖句です。私は、長い間、大学で植物の成長について研究してきました。不思議なことですが、最も成長が旺盛なときは、最も環境ストレスに弱いことが知られています。環境ストレスとは、成長に不適当な環境のことです。例えば、極端な低温、あるいは極端な高温、それから、極端な水不足、あるいは極端な水分過剰などです。これに対して、植物はどのように対処するかというと、植物にはそれを敏感にキャッチする仕組みがあります。そして、その警報が体内で鳴り渡ります。すると、植物の体内では、ストレスに対処するための成長抑制ホルモンの生産をたかめます。その結果、植物の成長が抑えられます。こうして、不適当な環境をやり過ごします。また、良い環境が戻ると、成長抑制ホルモンが減少して、再び、成長を始めます。さて、アブラハムは、神様から「あなたを祝福し、あなたを大いにふやす」という約束をいただきました。しかし、アブラハムに子ども(イシュマエル)が与えられたのは86歳のときでした。しかし、真の約束の子(イサク)を得るのは100歳になったときでした。アブラハム夫婦があせって、二人の意志で考えた人間的な計画が、エジプト人の女奴隷ハガルによって子を得ることでした。それがイシュマエルでした。。しかし、これは、のちのち、今に至るまで、イスラエルとアラブの間の紛争の種となってしまいました。私たちも、信仰の成長を願いますが、意志の力で、なんとか、成長しようとする時、失敗する時が多いように思われます。「忍耐の末に約束のものを得る」ことは、神様の深い計画によるものです。故・滝元明先生の座右の銘は「忍耐」でした。信仰+忍耐です。あせることなく、主に信頼して待ち続けましょう。私たちは「約束の相続者」です(6章17節)。私たちには神の約束が与えられており、神は誓いをもってその約束が確かなものであることを保証されました。私たちに必要なのは、そのことを信じて待つことです。忍耐です。信仰をもって受け留めたら、あとは、忍耐をもって実現を待つことです(12節)。アブラハムは忍耐のすえに、約束のものを得ました(15節)。「だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である(10章35節、36節参照)」。いま、新型コロナウィルスの影響で、目に見える成長は停滞しています。しかし、今こそ、内面的な信仰と忍耐という賜物が培われるときです。私たちが豊かな実を結ぶために主が備えられたチャンスである、と信じます。

清宣教師