大祭司イエス・キリストの活動の場所はどこか?その働きの中身は?これらの答えが、きょうの8章に記されています。

主イエス・キリストは、地上の幕屋ではなく、本体である天の幕屋において、父なる神の御座の右に着座されて大祭司としての働きをされています。(1,2節)。アロンとその直系の子孫の祭司たちは、地上の幕屋に仕えました。この地上の幕屋は、じつは、天の幕屋の写し、影にすぎませんでした(5節)。出エジプト記25章40節に、明確に記されています。モーセは、山で示された型に従って、地上の幕屋を作ったのです(5節)。この地上での幕屋がすべてではなかったのです。天にある真の幕屋こそ、本体だったのです。ですから、真の大祭司であるイエス・キリストは天の幕屋において奉仕されているのです(2節)。初めの契約(7節)の中身は、9節に記されています。つまり、「彼らをエジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約」と記されています。神がエジプトの地からイスラエルの民を導き出した時に結ばれた契約とは、シナイ山で与えられた契約です。シナイ山のふもとで、イスラエルの民は、神と契約を結びました。その中身は、祭司職といけにえの儀式と幕屋の規定などに関するものでした。これらは天にあるものの写しであり、影でした。さらにすぐれた契約に取って代わられるべきものでした。本体の模倣だったのです。祭司は毎日、罪のための犠牲を捧げ続けました。しかし、本体であるキリストの十字架の贖いの犠牲が捧げられたとき、全人類の贖罪は完結したのです。そのとき、神殿の仕切りの幕(隔ての幕)が上から下まで真っ二つに裂けました。もはや、神と人との間にある隔てが取り除かれたのです。最初の古い契約は終了したのです。古い契約は消えるのです(13節)。新しい契約では、もはやいけにえは必要がありません。シナイ山の古い契約は罪ある人間を大祭司として立てましたが、もはや、古い契約は消え去ったのです。聖なる御子イエスが、ご自身を捧げて贖いを全うされたのです。神の御子は全人類の贖罪を成し遂げられたのです。新しい契約では、北イスラエルも南ユダもひとつとなります(8節、10節)。モーセの時のように十戒の石の板に書かれた文字によるのではなく、ひとりひとりの心の中に、神のみこころが聖霊によって刻まれるのです(10節)。小さい者、大きい者の区別はなくなります。みな、聖霊の導きにより神の子として神のみこころに生きるようになります(11節)。古い契約では、アロンの直系の子孫の祭司たちが大勢いて、時代から時代へと務めを継続しましたが、永遠の神の御子は、ただひとりで、永遠の祭司の働きを全うするのです(7章23節、27節~28節参照)。地上の祭司たちは死にました。しかし、天よりも高くされた大祭司(7章26節)こそ、必要とされる真の祭司でした。契約にはギリシャ語で、ふたつのことばがあります。ひとつは「スンセーケー」で、対等の契約です。夫婦の間、国家間の契約です。もうひとつは、「ディアセーケー」で、遺言状のことです。これは親の意志による一方的な契約です。きょうの8章に出てくる契約は、「ディアセーケー」であり、神が一方的に結ばれた契約です。これは誓いのことばで保証されます(7章28節参照)。キリストは新しい契約の仲介者です(9章15節~17節)。この新しい契約は十字架の死で確定したのです。旧約聖書の、「約」は契約の約です。新約聖書の「約」も契約の約です。古い契約(旧約)、新しい契約(新約)です。古い契約は消え去り、新しい契約が確定されたのです。

清宣教師