さて、ペテロの第2の手紙は、新約聖書の中で最も熱心に議論がなされてきた書物であると言われています。それは、ペテロの手紙であると断定するまでに、かなりの時間を要したからです。最終的にペテロの手紙として受け入れられました。ローマ滞在中のペテロが、第1の手紙を書いた紀元63年頃の状況は、教会外からの大迫害でした。しかし、その後は小康状態を保っていました。しかし、今度は、教会内から偽教師の誤った考えが教会のいのちを奪おうとしていました。そこで、ペテロは紀元67年ごろ、第1の手紙と同じ読者である小アジア(現在のトルコ)に離散していたクリスチャンたちにあてて書いたのでした。教会は、外からの大迫害という大嵐に耐え抜いたばかりでした。今度は、内側から、その根に入り込もうとする害虫によって枯れそうになっているのでした。ペテロは、1節で「同じ尊い信仰をうけた方々へ」と記しています。こうして、この手紙を読む人たちが、ペテロと同じ尊い信仰に立つクリスチャンであることを確認しています。次に、1章の前半の3節~11節では、「主を知る知識」をテーマにしています。3節と4節では、主を知る者に与えられた霊的資源について述べています。5節~7節では、この霊的資源による成長について述べています。そのためには。あらゆる努力をするように勧めています。「加えなさい」とは、「供給しなさい」とか「備えなさい」という意味です。成熟したクリスチャンは、信仰、徳、知識、自制、忍耐、敬虔、兄弟愛、愛の恵みの性格を身に着けるように勧めています。8節~11節は、成長に伴う祝福について述べています。これらの恵みの性格を身に着けている者は、「実を結ぶ者となり」、「召されたこと」と「選ばれたこと」についての確信を身に着けることができるのです。そして、この世の人生を終える時には、永遠の御国に入る恵みを豊かに加えられるのです。次に、1章の後半の12節~21節では、主を知る知識の確信について述べています。まず、12節~15節では、ペテロがこの手紙を書いた目的と動機を記しています。そして、16節~18節で、主を知る知識の確証として、ペテロ自身の証言をわかちあっています。そして、19節~21節で、主を知る知識の確証としてのみことばを取り上げています。ここでは、ペテロは、旧約聖書の預言のことばを持ち出しています。預言のことばは、イエス・キリストの最初の来臨を目撃した事実によって確かなものとされました。だから、再臨を預言するみことばも確実に成就するはずです。だから、今の暗い時代にあっても、暗いところを照らす灯火として、預言のことばに目を留めるように勧めています。このとき大切なことは、私的解釈を施すことなく、聖霊の導きで書かれたことを覚えることです。そして、この預言のことばに目を留めるとき、いよいよ、主を知る知識を確信することが出来、神のご性質にあずかる者とされるのです。清宣教師