2章の4つの教会に続いて、3章では3つの教会が登場します。まず、サルデス(「逃れる人」の意)の教会です。砂金の産地であり、高級なカーペットやマット類が特産品で、金貨や銀貨が初めて鋳造されたのもこの町で、古くから富裕の町として知られておりました。サルデス教会の示すところは、13世紀~15世紀のカトリック教会の時代を表していると解釈されています。ローマ教皇が天下に号令していましたが、じつは、内部的には著しく腐敗していました。宗教改革の種が芽生えてきた時代でもありました。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは生きているとされているが、実は死んでいる。」と主が語られました。教会は外見は盛んでした。カトリックの教会は権力も、富も増し加え、荘厳な寺院を建てました。しかし、中身のいのちは抜け去り、腐敗していました。それで、主イエス様は、「目をさましなさい」(2節)と警告しています。一方、カトリックの堕落と迫害の中でも、その衣を汚さなかった幾人かの人たちがいました。この時代、ウィックリフやジョン・フスなど、宗教改革を叫んで火刑にされたひとたちでした。「勝利を得る者は白い衣を着せられる」との約束は、彼らに与えられた約束と思われます。次に、フィラデルフィア(「兄弟愛」の意)の教会です。時代的に言えば、16世紀から18世紀の海外宣教時代を指すとみられます。前の時代において宗教改革を唱えた証し人の多くは、殉教の死を遂げました。しかし、この時代、本格的に宗教改革の運動が進み、信仰の復興が起こった時代でもあります。主イエス様は、「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、誰も閉じることの出来ない門をあなたの前に開いておいた」(8節)と言われました。また、「勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。」(12節)とも言われました。聖所の柱とは神殿の中で最も重要なものです。教会は、彼らの働きのうえに、建てあげられていくのです。次に、ラオデキヤの教会(「人間の支配」の意)です。商業と金融の中心地であり、今日の銀行のようなものもありました。土地も広く豊かで、良質な羊毛の産地でした。冷泉と温泉があったともいわれます。またコルビヤンという香油があって、目薬に用いられたという説もあります。著名なキリスト教都市として知られ、ここで開かれた教会会議において、聖書の正典性が確立された町でした。しかし、その後、イスラム教徒の侵略によって破壊され、現在は荒れ地となっています。この教会があらわす時代は、現代からキリストの再臨までの時代を表していると言われています。主イエス様は「あなたは冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ。あなたが冷たいか、熱いかであって欲しい。」と言われました。また、忠告として、「火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥をあらわさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるために、目に塗る目薬を買いなさい。」と言われました。まさに、クリスチャンが自己満足してしまっている時代かも知れません。聖書もあり、ミッションスクールもあり、キリスト教系のテレビもあります。しかし、本物の純金のような尊い福音の価値、あるいは、完全な聖さという品性の価値(白い衣)が見失われています。イエス様は、私たちに対して、純粋で混じりけのない精錬された福音の信仰(純金)、あるいは、神の前に近づくことが出来る聖なる品性(白い衣)を手に入れるために代価を払うように忠告されています。そして、真実を見分けるようになるために目薬(聖霊)を買い求めるように勧告しています。イエス様は、すでに、ご自分のいのちという尊い代価を払われました。ですから、イエス様から買い求めるように(「わたしから買いなさい。」18節)と言われています。最後に、警告と約束のことばが語られています。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」。「戸の外に立ってたたく」とは、主が教会の中ではなく、外におられることが分かります。現在から終末の時代にかけて、主イエス様が中におられない、このような教会が多く現れることを示しています。一方、「ともに食事をする」とは、すべてを赦し合う最高位の交流を示すことばです。最後の言葉は、他の教会と同様に、「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」ということばで締めくくられています。(なお、これら7つの教会宛ての書簡について、現代の諸教会の姿を表していると解釈して、諸教会がイエス様からのメッセージを自分たちに適用することも間違いではありません。)

清宣教師