4章に続いて、天における礼拝の光景が描写されています。見ると、御座に座っておられる方の右手に、7つの封印で閉じられた巻き物がありました。それは不思議な巻物で内側にも、外側にも文字が書き記されていました。そして、ひとりの強い御使いが大声で、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と尋ねましたが、だれひとり、ふさわしい者がいませんでした。ヨハネはそれを知り、激しく泣いていました。すると、長老の一人が、「泣いてはいけない。ユダ族から出た獅子が7つの封印を解くことが出来ます」と語りました。すると、ほふられたと見える小羊(救い主イエス)が、御座に座る方の右手から巻き物を受け取りました。ここで不思議に思うことがあります。『獅子』といわれたお方が『子羊』として立っているのです。小羊は、7つの角と7つの目をもっていました。7つの角は、全き権威と力の象徴です。7つの目とは、全き知の象徴であり、知恵と悟りの霊に満たされた主の姿をあらわしています。全知全能にして、柔和なるお方こそ、私たちの救い主イエス様です。キリストこそ、従順な人、誠実な人、愛の人としてふさわしい人でした。ほふられたと見える小羊、つまり、傷跡も生々しい体を衆目にさらし、他方では全世界にご自身の力を発揮されるお方です。このとき、4つの生き物と長老たちは、香のいっぱい入った金の鉢をもって子羊の前にひれ伏しました。「この香は聖徒たちの祈りである」(8節)と解説されています。この天の礼拝の光景の中で、地上における聖徒たちの執り成しの祈りが、香として、主に捧げられていることを表しています。ケルビム天使たちと24人の長老たちは、贖い主である小羊イエスに、新しい賛美を捧げました。ついで、万の幾万倍もの天使たちの大軍が、大合唱、大賛美を捧げます。「ほふられた小羊は、力と富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美をうけるにふさわしい方です」(12節)。そして、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物が賛美を捧げます。「御座に座る方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」こうして、全宇宙は鳴りどよめいて神の子羊を礼拝し、賛美するのです。4つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちは、ひれ伏して、小羊を礼拝しました。天においては、このような礼拝が永遠に続けられるのです。旧約聖書では、エゼキエルを通して、新約聖書では、ヨハネを通して、天の礼拝の光景を垣間見ることができました。そして、私たちも、この地上での信仰の人生をまっとうするとき、天における光景を実際に、目撃するだけでなく、その一員として、主を賛美する日が来るのです。

さて、小羊の姿からいろいろなことが分かります。第1に、小羊には力があります。一見、無力に見える小羊、つまり、ほふられた小羊です。ところが、全世界を従わせることが出来る力を有するかたなのです。第2に、小羊には富があります。貧しい姿をとられましたが、全世界の人々にいのちを与えることが出来る豊かな富をもっておられます。第3に、限りない知恵をもっておられるお方です。「キリストは神の力、神の知恵なのです」(コリント人への手紙、第1、1章24節)。第4に、小羊には勢いがあります。つまり、神の無限の能力があります。第5に、小羊には誉れがあります。文語訳では、「尊崇」ということばが使われています。この世で唯一の尊崇の対象者です。第6に、小羊には、栄光があります。神の臨在、重い栄光のことです。第7に、小羊には賛美があります。私たちクリスチャンの絶えざるくちびるの果実である、賛美を受けるにふさわしいお方です。このように長老たちは、小羊の7つの権能を、「力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美」(12節)という7つのことばで表現しました。天にある者、地にあるある者、すべての被造物は、「アーメン」と言って唱和し、全能の神をたたえるのです。その日が近づいています。

清宣教師