7章に入ります。地の四隅という表現は、世界を指しています。全世界的な出来事が及ぶことが予告されています。第1の封印が解かれてから、第2、第3、・・・第6の封印まで、次々と開かれてきました。そして、いよいよ、第7の封印が解かれるときが来ているのです。すでに、大患難時代に突入していることが分ります。いよいよ、第7番目の封印が解かれる時が来ました。しかし、どういうわけか、第7番目の封印が解かれるのは、まだ、先延ばしにされます。ここでは、4人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風が、地にも海にもどんな樹にも、吹き付けないように抑えている光景が描かれています。それは、「神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、害を与えない」との配慮からでした。 この7章は、ある意味、大きな希望を与える章です。神の裁きの時が来ているのですが、神はご自身のしもべたちを区別して守ろうとしておられるのです。地上では、御使いたちが神のしもべたちを探し出して、忙しく、その額に印を押しています。結局、14万4千人のイスラエルの子孫たちの額に印が押されました。12部族、各部族1万2千人づつ、合計14万4千人です。ここには、イスラエルの12部族の名前として、ユダ、ルベン、ガド、アアセル、ナフタリ、マナセ、シメオン、レビ、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンの名前が挙げられています。ガド部族の名前がないのは、おそらく、偶像礼拝に関係したために除外されたと考えられます(レビ24章11節参照)。また、エフライムの代わりに、父ヨセフの名が記されているのも、エフライム部族に偶像礼拝の傾向があったためと考えられます。これは神の一方的な恵みによる選びでした。ところで、14万4千人のイスラエルの子孫たちについて、どのように理解したらよいのでしょうか。大きく分けて、ふたつの解釈があります。ひとつは文字どおり、血肉のイスラエル人です。もうひとつの解釈は、文字通りのイスラエル人ではなく、霊的なイスラエル、つまり、クリスチャンであるという解釈です。しかし、4章の解釈で述べたように、クリスチャンたちは大患難時代の前に、すでに携挙しているとすれば、ここは、文字通りのイスラエル人と解釈されます。しかも、パウロは、最後の時代には、ユダヤ人もみな救われると預言しているので、イエスをメシヤ(救い主)と信じるメシヤニックのユダヤ人たちを指しているのではないかと思われます。12部族の人たちは、全世界に離散しており、しかも小羊なるキリストを信じるメシヤニックの宣教師たちのようです。そののち、おびただしい群衆、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、つまり、誰にも数え切れぬほどの異邦人が大群衆となり、白い衣を着て、御座と子羊の前に立ち、「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある」と大声で叫びました。御使いもみな、御座の前にひれ伏して、神を礼拝しました。そして、白い衣を着た人たちについて、長老のひとりが説明しました。「彼らは、大きな艱難から抜け出てきた者たちで、その衣を子羊の血で洗って、白くしたのです」。彼らは殉教者たちでした。そして、「神は彼らの目の涙をすっかり拭い取ってくださるのです」という約束をいただきました。神は、彼らの上に、幕屋を張られ、永遠に神の庇護のもとに置かれるのです。

清宣教師