さて、18章に入ります。ここは17章であらかじめ説明しましたが、17章と18章は、大患難時代のまとめの部分です。つまり、17章では大患難時代の前半(3年半)、そして、18章では後半(3年半)について記しているということです。その内容は、17章では、世界宗教の統一都市、再興ローマの滅亡について預言されていました。18章では、世界統一政府、文明帝国の象徴としてのバビロンの滅亡が預言されています。1節に、非常に大きな権威をもっている御使いが登場しますが、ある注解者は、イエス様のことではないかと推測するほど、権威に満ちた御使いの描写がなされています。「倒れた。大バビロンは倒れた。・・・」と力強い声で宣言しました。この大バビロンは、「悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣窟、あらゆる汚れた憎むべき鳥どもの巣窟」と呼ばれています。まさに、反キリストの支配する国家のことです。国家全体が不義で覆われているのです。義なるイエス・キリストが支配される神の国、そこは聖と義と愛と憐れみに覆われた国です。ここに全く対照的な表現がなされています。まさに、真の神(創造主なる神)を抜きにした人類世界の行きつくところ、大バビロンです。まさに、大バビロンとは、人間中心主義(ヒューマニズム)の世界観が支配する経済至上主義の大帝国であり、その最先端技術は世界最高のものです。ところが、8節に、一日のうちに滅びることが記されています。誰ひとり、一晩で滅びると想定したものはいませんでした。9節~20節には、3種類の人たちが登場します。最初は、地上の王たちです(9節)。第2は、地上の商人たちです(11節)。第3は、すべての船長、すべての船客たちです(17節)。それぞれに共通していることは、遠く離れて見ていることです(10節、15節、17節)。ある注解者は、遠く離れて立つ以外にないことから、核による破滅ではないか、つまり、死の灰を恐れて遠く立っていると理解しています。さらに、もうひとつの共通点は、一瞬のうちに滅びたことを証言していることです(10節、17節、19節参照)。バビロンは、経済の超大国であり、富の力で全世界を惑わす存在でした(23節)。そこで商売されていた商品のリストが12節、13節に記載されています。金、銀から始まり、商品価値として高価な順にリストアップしていると考えられます。その最後が、最も価値のない商品として人のいのち(直訳では人の魂)が挙げられています。そのひとつ前には、奴隷(直訳は肉体)が挙げられています。21世紀の現在では、肉体の部品としての臓器売買なども、実際に、商売として成り立っています。人工中絶などにみられる胎児の処理(廃棄物としての処理)などに見られるように、人のいのちの価値はもっとも安価なものとしてリストの最後に挙げられています。バビロンのような経済の超大国では、利潤をもたらすものが最高の価値をもち、利潤をもたらさないものは最低の価値とみなされます。貧乏人や介護されるもの、弱者は利潤をもたらさないので、バビロンでは価値のないものとなるのです。そのサタンの惑わしにより、人々はユダのように、イエス様の価値よりも、銀貨30枚の方が価値があると判断してしまうのです。私たちが生きている現在も、そのような惑わしが確実に忍び込んでいます。みことばと聖霊様の導きにより、人間の真の価値観を失うことなく立たなければなりません。聖書の創造論宣教は、人間の真の本質、価値を明確にする、大事な宣教の働きです。私たち人類の未来を描いている18章を読むのはとてもつらいものです。だからこそ、私たちは、心から叫ぶのです。「マラナタ(主よ。来てください)」(黙示録22章20節)。「マラナタ」という言葉 は、主が来られることについての信仰と祈りの叫びです。この言葉はアラム語で、「マラン」が「主」を、「アタ」が「来てください」を意味します。これが合体して「マラナタ(主よ、来てください)」となったのです。ところで、明日の19章に入ると、一転して、天の大群衆の賛美が聞こえてきます。

清宣教師