昨日の2章には「エデン」、「ティグリス」、「ユーフラテス」等といった地名が記されていました。しかし、現在の中東にある地名とは別物です。何故なら、その後、6章~8章に記されているノアの時代の世界的な大洪水で、地表にある町々は、ことごとく崩壊してしまったからです。これらの地名は、ノアの子孫たちが、新しい陸地で増え拡がった時に、自分たちが居住する地域に、かつての懐かしい地名をつけたものであって、現代の中東にある地名とは別物です。さて、今日の3章1節には、2章に続いて、「神である主」と記しています。しかし、1節の後半から~7節までに登場するヘビ(サタン)は、女との会話の中で「神」という名称を用いています。「神」とはもろもろの神々をも含む一般名詞です。それに対して、「主」(YHWH)は、全宇宙に唯一の創造主なる神を指しています。さて、エバは、蛇(サタンに操られている)のことばに騙されて、神のみことばを疑ってしまいました。サタンは巧妙です。アダムやエバの心の中に、神が何か、特別な大切なものを出し惜しみして与えていないかのような印象を与えるように、神に対して疑いを持つように誘導しています。すでに、アダムとエバは神の姿に似せて造られた神の子供たちだったのですが、「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなた方が神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」、また、「あなたがは決して死にません」という大嘘をついて、神の戒めである、善悪の知識の実を取って食べるように、唆しました。そして、エバは、神の戒めを破り、善悪の知識の実を取って食べ、夫のアダムにも与えました。こうして、彼らは、サタンに騙されて、裸となりました。そして、神を避けて、隠れる者となりました。神のようになるどころか、神の目を避けなければならない存在となりました。神がご自分のかたちに特別に創造された最高傑作であるアダムとエバを、神から切り離し、堕落した存在へと追いやることにサタンは成功したのです。アダムとエバは、神の戒めを破り、反逆した結果、神のかたちを失い、この地を治めるという権利を、神の敵であるサタンの手に売り渡してしまいました。後悔しても、もとに戻すことは出来ません。それでも、神は呼びかけて下さるのです。「あなたは、どこにいるのか」。アダムとエバがあるべき場所から離れてしまったことに気づかせました。そして、蛇に対して、裁きを宣言されました。その中で、女とサタンの間に敵意を置く、と宣言されました。そして、やがて、その女の子孫(救い主)が、サタンの頭を踏み砕くことが、主のみことばによって宣言(預言)されたのです。これは神が語られた最初の福音(原始福音)でした。そして、数千年後、神の御子イエス様の十字架の贖いと復活によって、この福音が実際に成就しました。ところで、サタンのねらいは、人類の母であるエバをそそのかし、その子孫たちをみな、サタンの配下におくことでした。ですから、エバがサタンの手に落ちた時、しめたとばかり喜んだに違いありません。ところがその喜びもつかの間でした。主なる神が、サタンに対して「私は、お前と女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く」と宣言されたのです。こうして、女と子孫は、サタンの配下ではなく、サタンに敵対する存在として定められたのです。つまり、女は、か弱い存在ではなく、神によって、サタンの最大の敵として定められたのです。アダムとエバは、罪を犯し、裸の恥を表す存在となりました。しかし、神は、21節に示すように、アダムとエバのふたりのために、裸の恥を覆うための皮の衣を作って下さり着せて下さったのです。動物の名は記されていませんがおそらく、小羊が犠牲となり、二人分の皮の衣が用意されたようです。これは新約聖書で明らかになることですが、皮の衣とは、やがて、ご自分の血を流して達成される御子イエス様の十字架の貴い犠牲による義の衣のことを指し示すものでした。そうです。父なる神様は、あなたのために、御子イエス様を遣わして、あなたの罪を贖い、御子による義の衣をもって、あなたの裸の恥を覆ってくださるのです。そして、あなたは愛される神の子として回復されたのです。きょうも、神の子らしく、上を見上げて、笑顔で歩きましょう。

清宣教師