これは復習になりますが、主なる神様はアダムに名前を付けました。アダマー(土)から取られたのでアダムとつけたのです。そして、祝福しました(5章2節)。名前は本質を表すものでした。アダムは祝福された存在です。しかし、土から造られた者であることを自覚している限り、その祝福が自分のものとなるのです。ところが、高慢にも、神様の所有である善悪の知識の木の実を、所有者である神様から禁じられていたにもかかわらず、あたかも自分のものであるかのように食べてしまいました。詩篇10篇18節には、「地から生まれた人間」と記されています。私たちが自分のルーツを正しく知り、創造主なる神のもとに自分を置く時、祝福されます。しかし、高ぶるなら、祝福は去ってしまいます。創造主に似せて造られた人間は、自分に似た子を産み、自分の子たちに名前を付けました(5章3節)。まさに、創造主に似たものとしての特権でした。5章4節~31節まで、長寿のリストが続きますが、これは、もともと、創造主に反逆しない限り、人間は死ぬことがないことを示唆しているように思われます。また、これらを11章の寿命の記録と一緒にグラフに表すと、最初のアダムをはじめとする900歳代の長寿が、ノアの大洪水を境にして、段階的に、寿命が短くなる傾向を明瞭に読み取ることが出来ます。これについては、聖書に記載されている、自然環境の変化、居住地の変化、食物の変化などの要因と関連付けると、短命にいたる経緯を説明することが出来ます。関心のある方は直接、ご質問ください。さて、これらの系図は、何を示しているでしょうか? 第1に、神は、創世記3章15節で預言された約束のすえに至る系図を保存することにより、必ず約束の救い主がこの子孫から出ること、第2に、「息子や娘を生んだ」と詳しく述べて、創世記1章28節で約束した「生めよ、ふえよ」という神の祝福が実現していること、第3に、各人は数百年も生きたにもかかわらず、最後は「死んだ」という表現で、3章19節で宣言された神ののろいも実現していること、などを示していると考えられます。なお、ある注解者たちは、これらの系図には神からの秘められたメッセージがあると指摘しています。例えば、リー・ジョナサン牧師は、アダム(人)、セツ(代わりに授けた)、エノシュ(死ぬ運命)、ケナン(悲しむ)、マハラルエル(祝福の神)、エレデ(下に下って来る)、エノク(教える)、メトシェラ(彼が死ぬとき裁きが来る)、レメク(絶望)、ノア(慰め)ということから、「人は死ぬ運命を示され、悲しむようになりました。しかし、祝福の神が天から下って来られ、教えられます。彼の死と裁きの時、絶望する人は慰められる。」というメッセージであると解釈しています。ケリー篠沢さんは、「人がもたらした救いようのない悲しみ、聖なる神をほめたたえる。身を捧げるために下って来られる。彼の死は、その支配する絶望に慰めと安息をもたらす。」というメッセージである、と解読しています。

なお、5章におけるイエス様の予型は、「神と共に歩んだ」と記されているエノクの生涯に見ることが出来るように思います。エノクは、預言者として、同世代の神を信じない人たちに宣教しました。エノクは預言者として、祈りと御言葉により神との親しい関係を貫き通しました。そして、驚くべきことに、エノクは死を見ることがないように、肉体のまま、天に挙げられました。

それでは、きょうも、神と共に歩んだエノクのように、上を向いて笑顔で歩きましょう。

清宣教師