1節で、神様は、ノアと、その息子たちを祝福されました。そして、「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」と言われました。さらに、主は、アダムとエバに命じられたように、野の獣や空の鳥、海の魚などを管理するように、ノアとその家族に対して改めて命じられました。さらに、人間の食物として穀類や果樹にくわえて、新しく生きて動いている動物を加えられました(3節)。同時に,「人の血を流すものは、人によって、血を流される」という死刑制度が定められました。ところで、「人を殺してはいけない理由はなんですか?」と質問されても、普通の人は答えることが出来ません。進化論では弱肉強食ですから。進化論からその理由を導き出すのは難しいです。しかし、聖書には明確な答えがあります。6節です。「神は人を神のかたちにお造りになったから」です。神のかたちを滅ぼすものを神は裁かれます。さて、永遠の平和の契約のしるしとして虹のしるしが与えられました(9節)。創造科学者は、ノアの大洪水以前は、大気の上に水蒸気の層があり、その後、40日40夜の雨として地上に降ったので、大気の上の水蒸気層がなくなり、水滴と大気の間に屈折率の差が生じて、虹が見えるようになったと推測しています。永遠の平和の契約として、虹が与えられたことと関連して、素晴らしいみことばがあります。イザヤ書54章9節~10節です。「『このことは、わたしにとっては、ノアの日のようだ。わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、そのようにあなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない』とあなたをあわれむ主は仰せられる」。さて、ここで注目すべきことは、この契約はノアとその子孫との間に結ばれただけではなく、10節に記されているように、すべての生き物、地のすべての生き物との間に立てられた契約でした。12節でも、そのことが再確認されています。「わたしとあなたがた、およびあなたがたと一緒にいる全ての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約・・」と言われています。つまり、主の救いのご計画は、人間だけではなく、被造物全体に及ぶものであることが明確に示されています。人類だけでなく、被造物全体がキリストの贖いの救いに与るのです(ローマ人への手紙、8章19節~21節参照)。こうして、ノアと3人の息子から全世界の民が分かれ出て行きました。どのように分かれていったかは、10章に詳しく記されています。さて、20節以降ですが、ノアはぶどう畑をつくり、ぶどう酒を造るのに成功しました。ところがそのぶどう酒が原因で酔っぱらって自分を失ってしまい、裸になってしまいました。酒の影響は、とても大きいことが分ります。誰でも失敗します。そのとき、鬼の首を取ったかのように、「なあんだ、裸になんかなって」とハムのように、批判する人がいます。しかし、セムやヤペテのように、その裸の恥を覆ってあげることは、とても偉大な行為です。「贖い」ということばは、「覆う」という意味があります。ノアは、自分の裸の恥を覆ってくれた息子のセムとヤペテを祝福しました。一方、ハムとその子のカナンは、呪われてしまいました。ところで、アダムとノアの失敗には、不思議に一致する点があります。二人とも、木の実(善悪を知る知識の木の実、ぶどうの木の実)を食べて失敗しました。そして、ふたりとも裸になってしまいました。ある注解者は、ノアがこれほど酩酊した原因は、ノアの妻のことが記されていないので、最愛の妻を失ってぶどう酒におぼれたのではないか、と推測しています。

さて、今日の1節には、「生めよ。増えよ。地に満ちよ!!」と記されていました。新型コロナウィルスによる外出自粛の期間とは、あたかもノアの家族が外部から遮断されて箱船の中に閉じ込められた期間のようです。しかし、その期間が過ぎた時、神様はノアの家族が増えるように祝福されました。新型コロナによる外出自粛が解かれたとき、主が教会を祝福して、救いの福音が地に増え広がる夢を、ご一緒に描きませんか。

清宣教師