アブラムが99歳になった時の出来事です。日本で言えば白寿ですね(百という漢字の一番上の一を除くと、白になるので、100-1=99という文字遊び)。主がアブラムに現われて語ってくださいました。「わたしは全能の神(エル・シャダイ)である」とご自分を紹介されました。そして、アブラムとの間に契約を立てると仰せられました。また、アブラムではなく、アブラハム(多くの国民の父)という名前に改名するように言われました。そして、アブラハムとその子孫との間に、カナンの全土を与える、そして、わたしは彼らの神となるという契約を結ばれました。その契約のしるしとして、割礼(包皮の肉を切り捨てる)をアブラハムとその家の者(男子)たちが受けるように命じられました。人生には節目があります。それは年齢によるのではなく、カレンダー上の期日によるのでもありません。神が語られる時です。その時が、私たちひとりひとりの人生の節目です。アブラハムも75歳の節目、86歳の節目、99歳の節目の時がありました。私たちの人生のターニング・ポイントです。主が、その時を定めて、私たちに語りかけてくださいます。それは新しいことが始まる機会です。ひとりひとりに訪れる神の御計画の時です。ワクワクしますね。人生の節目で、主が語って下さるとはなんという恵みでしょう。アブラハムは99歳で、もうひとつのターニング・ポイントを迎えたのです。また、主なる神様は、アブラハムに対してだけでなく、アブラハムの妻を祝福されました。サライではなく、サラ(国々の母)と改名するように命じられました。夫だけでなく、妻も同時に祝福に預かるように、主は語られたのです。夫のゆえに、妻も同じ祝福を受けるのです。主はなんと、真実なお方でしょう。そして、二人に対して、子を授けるという祝福のことばを語られました。アブラハムにとって、このことばは信じがたいことで、なかなか、受け入れることが難しかったようです。それで、心の中で、どうしてそんなことが起こり得ようかと思ってしまいました。主はアブラハムの思いを御存じであり、ハッキリとあなたの妻サラが、あなたに子を産むのだ。その子をイサクと名付けなさい、と語られました。アブラハムはどうしましたか。そうですね。その日のうちに、(翌朝でもなく、1週間後でもなく、その日のうちに、日が暮れる前にです)、自分を含めて、家の男子全員に割礼を受けさせました。主から語られたことを、その日のうちに、すべて実行したのです。私たちの模範です。そこには、99歳のアブラハム、13歳のイシュマエル、そのほか、生後まもなくの男の子から、10代、20代、30代、40代、・・・・90代、あらゆる年齢の男子がいました。その日は突然来ました。すべての年代の人が、割礼を受けました。最初の割礼の時は、あらゆる年代の人が、割礼をうけたのです。しかし、その後は、定められた時、つまり、生後8日目に割礼を受けるようになりました。私たちも、家族の中で初めてクリスチャンになった場合、洗礼を受けた年齢は、それぞれ、いろんな年代です。しかし、両親がクリスチャンの家族に生まれた場合は、多くの場合、10代~20代で洗礼を受けるようになります。大事なことは、洗礼を受けた年齢ではなく、キリストを信じて義とされたことです。また、もうひとつ大事なことは、主が語られたら、アブラハムのように、その日のうちに応答することです。私たちの人生には、節目があります。主が語られる、そのとき、旧い自分を捨てて、旧い考え方、生き方を捨てて方向転換をする必要があります。私も、いま、そのようなターニング・ポイントにあると感じています。捨てるべきものを捨てる決断が必要です。きょう、私たちは男女を問わず、神のかたちに造られた者として、聖霊の証印をうけていることを覚えて、神の子どもとして生活しましょう。

清宣教師