振り返ってみますと、ヨセフは、17歳の時に、兄たちによって隊商に売り飛ばされました。それから13年後、30歳の時にエジプトの総理大臣として任命されたのでした。ヨセフは突然、エジプトの宰相となりましたが、それは偶然の結果ではなく、主の周到な御計画の成就でした。主の御計画は、ヨセフがエジプトに奴隷として売り飛ばされた時から、すでに動き始めていました。いいえ、厳密に言えば、ヨセフが生れたときから計画されていたのです。いいえ、もっとさかのぼれば、父ヤコブが生れたときから、いえ、祖父アブラハムが生れたときから、すでに主の御計画は動き始めていたのです。私たち人間は、非常に近視眼であり、短絡的で、長い目で見ることが出来ないものです。しかし、ヨセフは、主の御計画を信じて、微動だにせず、ただ、委ねて主の御計画の中を生きていたのです。それは凄いことですね。私たちも、ヨセフの信仰をいただいて、目の前の出来事に、一喜一憂することなく、落ち着いて、感謝をもって過ごしましょう。さて、飢饉はエジプト全土だけでなく、全世界に及びました(41章56節、57節参照)。そして、ヤコブや兄たちの家族が住んでいるカナンの地にも及びました。ヤコブは、一家の食料を得るために、ヨセフの10人の兄弟を呼び寄せて、エジプトに穀物を買いに行くように命じました。しかし、彼らは、エジプトに行くのをためらっていました。あのヨセフをエジプトに売り渡したことが、心にひっかかっていたからであると思われます。そのうちに、食料がひっ迫して、どうしようもない状況となり、ヤコブは、ベニヤミンを残して、ほかの10人の子たちをエジプトに行って、穀物を買い付けてくるように命じました。そこで、10人の子たちは、他の国々の人たちに混じって、エジプトに行きました。10人のヨセフの兄弟たちは、ヨセフのその後のことに関して一切知りませんでした。彼らは、他の人たちに混じって、エジプトの権力者であるヨセフの前で、顔を地につけてヨセフを伏し拝みました。まさに、ヨセフがかつて見た夢の成就でした。ヨセフはあの時の夢を思い出しました(37章7節参照)。そして、あえて、彼らに対して、見知らぬ者のように、荒々しいことばで対応しました。そして、ヨセフは、「あなたがたは間者だ。この国のすきをうかがいに来たのだろう」と言いました。兄弟たちは、それを否定しましたが、ヨセフは、「あなたがたのうちの一人をやって、あなたがたの末の弟を連れてくるように。それをもってあなたがたの潔白を証明するように」と言い渡しました。そして、彼らを三日間、監禁しました。そして、三日目に、彼らを監禁所から出して、彼らの会話を聞いていました。兄弟たちが自分のことで悔いていること、また、長男のルベンが、語っていることから、その時の状況をほぼ把握できたようです。それを聞いて、ヨセフは耐えられず、その場を離れて、ひとり、そっと泣きました。それから、自分を隊商に売った張本人とみられるシメオンを縛り、ひとりだけ、監禁所に残すことにして、他の兄弟たちを釈放しました。そして、次に来るときには必ず、末の弟を連れてくるように、厳しく命じました。一方で、彼らに食料を渡し、しかも、ヨセフはしもべに命じて、彼らが支払った銀を彼らの袋に返させました。宿泊所で袋を開けて、穀物の代金の銀が返されているのを見て、兄弟たちは身を震わせて「神は、私たちにいったい何ということをなさったのだろう」と互いに語り合いました。こうして、兄弟たちは父ヤコブのもとに返り、一切のことを報告しました。その報告を聞いたヤコブは、「あなたがたはもう、私に子を失わせている。ヨセフはいなくなった。シメオンもいなくなった。そしていま、ベニヤミンを取ろうとしている」と言って、子供たちを責めました。ヤコブは、否定的な見方しか、できなくなっていたようです。長男のルベンが、ベニヤミンのことについては、自分が責任を持つと言いましたが、ヤコブは絶対、それに同意しようとはしませんでした。天の視点を持たなければ、あらゆる行動が束縛されてしまいます。私たちは、御国の子たちです。御国の相続人です。きょう、御国の相続人であるという視点をもって、大胆に、この世の荒波を足の下に踏んで、湖上のイエス様を見つめて、一歩、踏み出しましょう。清宣教師