ヨセフは、兄弟たちの心を確かめるまでは自分を隠すことにしていました。しかし、44章の出来事を通して、兄弟たちは自分たちが過去にヨセフに対して犯した罪を悔いていることを知りました。さらに、ユダが兄弟たちを代表して、ベニヤミンの身代わりに自分自身を捧げようという申し出がなされたとき、すべてのことは明らかになりました。もはや、兄弟たちの前で自分を隠している理由はひとつもなくなりました。ヨセフは自分を制しきれなくなり、側近や部下たちに部屋から出て行くように命じました。そして、兄弟たちの前で声をあげて泣いたのです。ヨセフは自分のことをみなに明かしました。そして、「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです」。そして、さらに繰り返して言いました。「今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです」と。そして、神の御計画により、あなたがたとあなたがたの家族を救うために、あらかじめ、私はエジプトに遣わされたのです、と謙遜に語りました。ヨセフは的確に神の御計画を理解していました。兄弟たちに仕返しをする絶好の機会であるとは理解しませんでした。ヨセフは自己中心ではなく、神様中心の生き方をしていたので、神様の御計画を正しく理解できたのです。そして、エジプトの王パロの勧めもあり、兄弟たちに車を与え、食料、晴れ着、最良のものを贈りものとして与えました。そして、ヨセフは、彼らが出発する時にも、「途中で言い争わないでください」と念を押しました。ヨセフは、自分がエジプトに売られたことを怒りや憎しみで受け留めたのではなく、心の底から神の御計画であることを理解していたのです。ですから、もう兄弟の中で誰が悪いとか、あの時、こうすればよかったとかいうような無用な言い争いをしないように、念を押したのです。ヨセフの兄弟たちからヨセフのことを聞いた父親ヤコブは最初、信じる事が出来ませんでした。しかし、実際にヨセフが父ヤコブのために送ってくれた立派な車を見たときに、ヨセフの兄弟たちの話が事実であることを理解し始めたようです。その車はエジプト製で、王様などが乗るような凄い車であったと思われます。今で言えばロールスロイスとか、ベンツのような高級車だったと思います。現実にあり得ない話を聞いて信じられなくても、あり得ないことを見せられると、信じる助けになるということだと思います。神様のみわざも、奇跡やしるしや不思議を通して、神様は生きておられるということを信じる助けとなると思われます。それにしても、最高の奇蹟は、妬みと憎しみで満たされて争っていた兄弟同士が、互いに身代わりになることを申し出るほどに変えられ、素晴らしい兄弟同士の絆が出来たことです。私たちも主にある兄弟姉妹ですが、肉の性質では、互いに妬んだり、憎んだり、批判したり、騙したり、いろんなことがあります。しかし、最終的に、主なる神様は、聖霊様のお働きを通して、私たちを真の兄弟姉妹の絆で結ばれるように成長させてくださると信じる事が出来ます。このヨセフと兄弟たちに起こった出来事を通して、私たちを日々造り変えて下さることを教えて下さった、主を賛美します。

きょう、神の子どもにふさわしく、わたしを新しく造り変えて下さい。プライドや妬みや裁きの心を取り除き、謙遜と、思いやりと、優しさ、全き主への信頼の心、イエス様の心のように造り変えてください。

清宣教師