イスラエル(ヤコブ)は、故郷のカナンを出立しました。一族郎党、ヘブロンの家を引き払いました(創世記37章14節)。そして、32キロメートルほど離れたベエル・シェバに着いたとき、父イサクの神にいけにえを捧げました。ヤコブにとって、主がアブラハムとイサクに与えられた約束の地を離れることに恐れがあったと思われます。祖父のアブラハムは、飢饉のときにエジプトに下って大きな失敗をしました。父イサクも、飢饉の時、エジプトには下るな、と警告を受けたことを知っていたに違いありません。ですから、主のみこころを求める必要がありました。祭壇を築いて、いけにえを捧げました。すると、夜の幻の中で、神がヤコブを呼ばれました。そして、「エジプトに下ることを恐れてはならない」と語り、さらに、「わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る」と語りました。この主の約束のことばをいただいたので、ヤコブは、安心して、ベエル・シェバを後にして、一路、エジプトを目指しました。次に、ヤコブと一緒にエジプトに下った者たちの名前がリストアップされています(8節~27節)。それに、ヤコブとヨセフとエジプトで生れたヨセフの子ども二人を加えると、ヤコブの家族は総勢70名となります。後日談ですが、430年後、イスラエルの民が、エジプトを出たときには男子だけで60万、総勢約200万人くらいに増えていたのです(出エジプト記12章37節、41節参照)。こうして、イスラエルの民はエジプトの地で養われるのが、神のご計画でした。そのとき、ヤコブの心の中には、想像もできないことであったに違いありません。さて、父ヤコブは、ユダを先にヨセフの所に遣わします。ここでも、ユダが兄弟たちのリーダー役を務めていることが分ります。一方、ヨセフは、車を整えて、父イスラエルを迎えるために、ゴシェンの地へ上り、父との対面を果たしました。父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けました。親子の再会は23年ぶりでした。父イスラエルは130歳、息子ヨセフは39歳ほどになっていました。父イスラエルは、ヨセフに、「もう、死んでも思い残すことはない。この目であなたが生きているのを見たからには」と言いました。こうして、父イスラエルは、12人の息子たちをみな、取り戻したのです。父ヤコブが、長い間、悪い獣に襲われて死んだと思っていた息子ヨセフに再会したときの感動は、非常に大きなものでした。私たちも、天の御国に行くとき、先に召されたあの人、この人と会う時が来ます。そして、なによりも、救い主イエス様に会う時が来るのです。大きな大きな喜びが待っているのです。それから、ヨセフは彼らをパロに紹介するに当たり、具体的なアドバイスを与えました。それは自分たちが羊飼いであること、しかも先祖代々そうであることを伝えること、そうすれば、ゴシェンの地に住めるようになる、とアドバイスしたのです。なぜなら、エジプト人は農耕民族であり、昔から家畜を飼っている職業を卑しいものとしていたからです。羊飼いであることを話せば、エジプト人の居住地域から離れたゴシェンの地で生活できるからです。そこには、ヨセフの配慮がありました。エジプト人とは別の居住地であれば、エジプトのもろもろの偶像礼拝や悪い習慣の影響から免れることが出来るからです。きょう、天の御国の一員として、私たちに与えられたところで、小さなことに忠実に励みましょう。

清宣教師