きょうの個所も、7章の続きで、モーセとアロンがエジプトの王パロに会い、「わたしの民を行かせ、彼らにわたしに仕えさせるようにせよ」との主のことばを伝える場面です。7章では、エジプトの民たちにとって偶像の神であったナイル川の水を打ち、血に変えました。8章では、やはり、エジプトの民たちが偶像の神としてあがめていた蛙を用いて裁きを行いました。蛙は繁殖の神としてあがめられていました。日本でも安産の神様とか、いろいろ、専門の神々がありますが、当時のエジプトでも、たくさんの偶像の神々が、それぞれの専門を担っていたようです。パロが主のことばを拒否したので、主は、その繁殖の神様としてあがめられている蛙を用いて、蛙を増やし、家の中の寝室にも、ベッドの上にも、台所にも、食器の中にも、蛙が入り込むようにしました。エジプトの王に仕える呪法師たちも同じように蛙を這いあがらせました。当時のエジプトの国では蛙は神様なので、蛙を殺すこともできず、どんどん増える一方でした。さすがにパロもまいったようです。モーセとアロンを呼び寄せました。そして、主のことばを受け入れるので蛙を取り除いてほしいと頼みました。それで、モーセとアロンは主に願い求めました。そして、蛙は家と庭と畑から死に絶えました。ところが、パロは息つく暇が出来たので強情になり、約束を果たしませんでした。しかし、これは主の御計画の中に織り込み済みの事でした(15節)。

そこで、主は、モーセとアロンに命じて、地の塵からブヨを出しました。呪法師たちもブヨを出そうとしましたが出来ませんでした。さすがに、呪法師たちも降参しました。そして、パロに言いました。「これは神の指です」(19節)。しかし、それでも、パロの心は頑なになり、モーセとアロンの言うことを聞き入れませんでした。しかし、これも主の御計画にはすでに織り込み済みでした(19節)。

そして、次の日の朝早く、モーセに命じて、パロに、主のことばを伝えさせました。「わたしの民を行かせ、彼らをわたしに仕えさせよ」(20節)。今度は、アブの群を用いてエジプトの民を罰すると宣告しました。また、一方で、イスラエルの民が留まっているゴシェンの地には、アブの群がいないようにすると言われました。そして、主は、パロに対して、「わたしの民とあなたの民との間を区別して救いを置く。あす、このしるしが起こる」と宣告されました。主がその宣告の通りにされたので、おびただしいアブの群がエジプトの民たちを襲いました。しかし、イスラエルの民たちの住んでいることろには、アブの群がおりませんでした。そこで、このアブの群に懲りたパロは、モーセを呼び寄せて、「この国内でおまえたちの神にいけにえを捧げよ」と妥協案を出してきました。しかし、モーセはその妥協案を拒否しました。それで、パロは、主のことばを受け入れる約束をしました。そこで、モーセは主のまえに、アブの群がいなくなるように願い求めました。それで、アブは一匹も残りませんでした。しかし、パロはアブの群がいなくなると、態度を変えて、約束を果たしませんでした。もちろん、このことも主の御計画の中では織り込み済みの事でした。こうして、パロが主の提案を拒否するにしたがって、主の裁きはエスカレートしていき、イスラエルの民だけでなく、エジプト王の家臣やエジプトの民たちの前に、主こそ、唯一のまことの神であることを、ハッキリと示すことになるのです。次の9章では、さらに、大きな災害が続きます。

日本の国は、広島、長崎(西日本)において米国の核攻撃による無差別大量殺りくを受けました。そして、核分裂生成物質(死の灰)で苦しみました。しかし、2011年、福島(東日本)における原発のメルトダウン事故により、日本は死の灰の被害国ではなく、核分裂生成物質(死の灰)を世界中に放出した加害国となってしまいました。日本の国が、これ以上、放射性廃棄物を生み出すことを止めて、原発ゼロを決断することが出来ますように、祈りましょう。そうでないと、ますます、途方もない危険を背負い込むことになります。

きょう、この頑なな日本の姿勢が変わるように祈りましょう。主よ、日本の国を導いて下さい。

清宣教師