25章では、主は、幕屋(別名、聖所)について、「わたしがあなたに示すのと全く同じように造らなければならない」(25章9節)と命令されました。また、実際のモデルを示して、「良く注意して、あなたが山で示される型どおりに作れ」と命じられました。そして、順に、まず、『契約の箱』(25章10節~16節)と『贖いのふた』(25章17節~22節)、次に、『供えのパンの机』(25章23節~30節)、『純金の燭台』(25章31節~39節)の設計について詳細を示されました。これらはいずれも、至聖所と聖所の中にはいるものです。次に、幕屋の『幕』(26章1節~14節)、『幕屋の板』(26章15節~25節)、『横木』(26章26節~29節)、それから、聖所と至聖所の間を仕切る『垂れ幕』(26章31節~35節)、最後に、天幕の『入り口』(26章36節~37節)の造り方について指示されました。きょうの27章では、『祭壇』(27章1節~8節)、『幕屋の庭』(27章9節~19節)の造り方が示されています。ここでも、再度、「山であなたに示されたところにしたがって、彼等は作らなければならない」と注意されています。つまり、完全に、主なる神の指示通りに作る必要があったのです。主の作品は完璧です。ところで、『祭壇』は、アカシヤという堅固な木材を用いて、青銅をかぶせて作りました。それらの祭壇の用具はみな、青銅で作りました。移動式で運べるように棒が両側に通せるようになっていました。次に、幕屋の庭は、至聖所と聖所を取り囲む庭ですが、庭の外側の周囲を亜麻布の幕を張って、外部とのしきりとしました。それぞれ、一定の間隔で台座を据えて、そこに柱を立てました。その柱には銀製の鉤と帯輪がついていました。幕屋の奉仕に用いる釘はみな青銅のものを用いました。最後に聖所の中の金の燭台のともし火を燃やすための燃料として、純粋なオリーブ油を用いること、また、夕方から朝方まで、そのともし火を絶やすことなくともすように命じられています(27章20節~21節)。至聖所の中に置かれる契約の箱、贖いのふたは、純金で作られました。また、聖所の中に置かれる供えのパンの机、香の祭壇、燭台も純金で作られています。板も金で覆われていました。柱の台座は銀でした。ただし、入り口の柱の台座は銅でした。庭に置かれた祭壇と洗盤は、青銅でつくられていました。庭の外側の幕の台座も青銅で作られていました。至聖所⇒聖所⇒庭へと、純金⇒銀⇒青銅という使い分けがなされています。
聖所の中は、金の板で囲まれていて、中には、純金の香檀、純金の供えのパンの机、純金の燭台がありました。天井の幕や、仕切りの幕は亜麻布、青色、紫色、緋色の撚糸でケルビムを刺繍したものでした。聖所の内側で奉仕する祭司たちは、美しさの極みに囲まれて奉仕しました。この聖所は、一番内側が亜麻布、青色、紫色、緋色の撚糸でケルビムを刺繍した幕でした(26章1節~14節)。その上をやぎの毛の幕、その上を赤くなめした雄羊の皮、その上を、つまり、一番外側は、じゅごんの皮の幕で覆いました。人々が見る聖所の姿は、じゅごんの皮で覆われたものでした。じゅごんとは、アザラシなどに似た動物で、雨風に強いので一番外側をこれで覆ったと言われています。じゅごんの皮は見栄えのしない皮でした。聖所の内側は純金で示される神性、外側はじゅごんの皮で示される人性を指していると理解されます。金はキリストの象徴、銀は贖いの象徴、青銅も贖いの象徴、青は天にあるものを象徴する色、紫は王の王であるキリストの栄光の象徴の色、緋色はイスラエルの王としてのキリストの栄光を象徴する色、亜麻布は、しみも汚れもない聖なる人性の象徴、やぎの毛は、預言者としてのキリストの象徴、じゅごんの皮は、この世から見たキリストの象徴、アカシヤ材は、主の人性の象徴、注ぎの油は聖霊の象徴、聖所は、神がご自分の民のうちに住まわれることを象徴するもの、と解釈されています。なお、今回で幕屋の構造が終わるのではなく、これからも繰り返し登場します。初めての方はあせらずに、理解できるところを消化して下さい。きょうも、元気に過ごしましょう。目先のことに囚われず、天を見上げて歩きましょう。主の導きと守りがあなたの上にありますように。清宣教師