1節~11節: 主は、すべてに用意周到なお方です。天地万物の創造のプロセスにおいてもそうでした。第1日、第2日、・・・第6日と、人間の住みかとしての地球が整えられていきました。そして、最後に創造の冠としてアダムとエバが創造されました。そして、ともに、創造の完成を祝うために第7日の安息日が設けられました。今回の幕屋の完成のためには、特に、主の霊によって満たされた職人が必要でした。それで、主は、ユダ部族のフルの子であるウリの子のベツァルエルとダン部族のアヒサマクの子のオホリアブを選び、祭司の衣服や幕屋の調度品の作成のために、彼らをリーダーとして任命して、神の霊で満たされました。こうして、幕屋のあらゆる設計や仕事のために、賜物を持つ人が任命されました。教会の働きもそうですね。主にはビジョンがありますが、その達成のために、働き人や賜物とをもつ兄弟姉妹を備えておられます。
12節~17節:幕屋に関する指示を終えると、主は安息日のことについて指示されました。神は神の民であるイスラエルをエジプトから救い出して、あらたに、イスラエルをひとつの国家として、モーセを通して契約を結ばれました(24章5節~8節)。そのしるしのひとつは、安息日を守る事でした(31章16節、17節)。これは永遠のしるしであるとも言われています(31章17節)。それで、たとい幕屋の建設の途中であっても安息日は守らなければならないということを、念のため指示したのかも知れません。ところで、忙しいということばの意味は「忙」という文字の左側は「心」を意味し、右側は「亡びる」を意味するので、「忙しいと心を亡ぼす」といわれています。一方で、「暇(ひま)」ということばの語源は「日間(ひま)」だそうです(大言海による)。「日の光が差し込む間」ということで、私たちの心が忙しく働いていると、全く、日の光が差し込む隙間がないということになります。私たちの心の中に、神の光が差し込む隙間をつくること、それこそ、神の民にとっての安息日の意味であると思われます。
18節:主はシナイ山でモーセと語り終えられた後、ご自身の指で記された2枚のあかしの石の板をモーセに授けられました。しかし、わずか数時間後に、この「あかしの板」をモーセ自身の手で砕くことになるとは、このときは知りませんでした。
きょう、主はすべての事を御存じであり、私たちの人生のためにも、あらゆることを備えて下さる方であることを思いだしましょう。すべての心配や思い煩いを、主に委ねます。私の心から焦りを取り除き、神様からの平安で満たしてください。清宣教師