38章と39章では、幕屋の造り方について、主が命じられたことを復唱し、間違いのないように配慮されています。昨日の37章では幕屋の内部の用具について記述されていました。至聖所と呼ばれる所に置かれる「契約の箱」、契約の箱の蓋となる「贖いのふた」、至聖所の仕切りの幕の手前に置かれる「香の檀」、仕切りの幕に向かって右の手前に置かれる「供えのパンの机」、仕切りの幕に向かって左の手前に置かれる「燭台」について記載されていました。今日の38章では、聖所や至聖所の内部ではなく、幕屋の庭に置かれる用具について説明しています。
まず、幕屋の庭の入口を入ると、すぐ、目の前にある青銅の祭壇です(1節~6節)。これは出エジプト記の27章1節~8節の復習です。青銅の祭壇の構造ですが、内部はアカシヤ材で造られたもので、外側に青銅をかぶせたものです。祭壇は薪をのせて、そのうえに、犠牲となる動物をのせて、燃やすものです。とくに全焼のいけにえを捧げる祭壇と記されています(1節)。4隅には角があり、そこに犠牲となった動物の血が塗られました。祭壇には網細工の格子があり、灰が下に落ちる仕掛けになっていました。また、移動式のために、祭壇の両側に環が取り付けられており、これに2本の棒を通して担ぎました。
次に、全焼の祭壇と聖所の入り口との間の庭にあったのが、青銅の洗盤です(8節)。出エジプト記30章18節~21節にも記されています。祭司たちが、聖所に入る時、あるいは、祭壇での奉仕にあたる時も、この青銅の洗盤に入れた水で、手足を洗い清めました。
9節~20節は、幕屋の庭のまわりの掛け幕のことです。これも、すでに、出エジプト記27章9節~19節に記されています。聖所のまわりを庭で囲みました。庭の入口は、東にありました。つまり、捧げ物をする者たちは、太陽に背を向けて庭に入るかたちです。太陽崇拝をさけるためでした。そして、至聖所は、西の奥にありました。聖所で祭司たちが奉仕する時も、西の方向をむいて奉仕していたことになります。
庭の広さは、東側が50キュビト、西側も50キュビト、北側が100キュビト、南側も100キュビトでした。つまり、東西に長い、長方形の庭でした。柱の台座は青銅で、その上にある柱の鈎と帯輪は銀で出来ていました。このように庭の掛け幕の台座は、青銅の台座でしたが、庭のくぎも青銅でした。しかし、聖所と至聖所の台座は銀の台座でした(36章24節参照)。
21節~23節では、幕屋の建設にあたって指導的な役割を果たした人物の名前を記しています。祭司アロンの子のイタマルの指導の下、レビ人たちが奉仕したことが記されています。また、ベツァルエルとオホリアブの名前も記されています。
24節~31節では、幕屋の建設のために用いられた資材の事が記されています。金は29タラント730シェケルでした。燭台に使われた金は1タラントでした、現代になおせば34.3キログラムです。これは2億3千万円相当のものです。銀は100タラント1775シェケルでした。銀1タラントの重さは約50キログラムです。2個の台座は、約410万円以上もするものです。幕屋に使われた金や銀や青銅、その他の資材を含めると、幕屋のために用いられた資材の総額は、数十億になると推定されます。釘一本に至るまで、モーセは主の命に従って、指示しています。幕屋のすべては、主のご計画の通りに、細部に至るまでなされたのです。
きょう、私たちを罪から解放するために立てられた神の救いの計画も細部に至るまで完璧に考え抜かれたものであり、十字架の上で完全に成就したことを改めて、確認しましょう。主の救いは完璧でした。それはすでに成就したのです。主に感謝しましょう。清宣教師