レビ記12章では、出産した女性のきよめについて記されています。男子出産の場合は、通常の生理の時と同じように7日間、女子出産の場合は2倍の2週間、子を産んだ母親は汚れるとされています。また、それ以外に、男子出産の場合は33日間の清めの期間、女子出産の場合は66日間の清めの期間が定められていました。つまり、総計すると、男子出産の場合は40日間、女子出産の場合は80日間、汚れたものとみなされ、聖所に入ることも、聖なるものに触れることも禁じられています。産後、母親には1か月の休養が必要であることは、今でも同じですが、この規定はとくに、血のきよめ(4節)とあり、出産のときの出血とかかわりがあると考えられています。私たちには理解できない点もありますが、現代の医学では、まだまだ、解明されていないこともありますので、やがて、なぜ、このような定めがなされたのか、明らかになる日が来ると思われます。
清めの期間が過ぎると、母親は1歳の子羊を全焼のいけにえとして、また、罪のためのいけにえとして、家鳩のひなか、山鳩一羽を捧げることになっていました。しかし、貧しいもののためには、鳩2羽をささげ、一羽を全焼のいけにえ、もう一羽を罪のためのいけにえとして捧げることが許されました。イエスの母マリヤは、この規定に従い、鳩2羽を捧げたことが知られています(ルカの福音書2章24節)。
ところで、当時の出産に伴う汚れの期間だけでなく、婚礼の祝いの期間も1週間くらいありましたし、死者を悼む喪の期間も、人によっては数か月ということもありました。総じて、出産や結婚や葬儀など、人生の節目に関する出来事には、多くの人が参加して、十分な時間をとって喜びや悲しみを共有していたように思われます。
一方、私たちの時代は、いろいろと便利になり、それだけ、時間の余裕が出来るはずですが、そうなっていない現実があります。例えば、東京(江戸)と仙台の間は、往復に1カ月くらいかかっていたのが、今では新幹線で日帰りです。ですから、1カ月のうち、1日だけ仕事をして、あとの29日は休んでいることができるはずです。ところがところが、その1カ月にぎっしり仕事が詰め込まれています。結婚式も、葬儀もみな、短縮されました。ところが、それだけ余裕が出来たかというと、昔よりも余裕がないという現実があります。医学の発達があるとはいっても、胎児や乳児の発育に、どのような影響があるか、まだまだ不明です。
このような聖書の個所を通して、現代の生活のあり方について、改めて考えさせられます。もう少し、ゆっくり、落ち着いて生活することの中に、主の御心があるように思われます。空の星を仰いだり、朝明けを楽しんだり、澄み切った青空を眺める、心の余裕が必要のように思われます。まさに、日間(ひま)ということばが、ピッタリですね。
きょう、私たちの日常生活の中に、日間(ひま)を造ろう!日間を楽しもう!この日は創造主が造られた♪ この日を喜ぼう!
清宣教師