今日の個所は、1年に1度の大贖罪日(ヨム・キプール)の日のことが記されています。イスラエルの暦の第7月(現代の暦では9月頃)の10日、大祭司が聖なる装束を着て、至聖所と聖所と祭壇と祭司と神の民のすべての贖いをする特別の日でした。それで、ユダヤ人が1年のうちで最も重要な日としています。アロンは、まず、自分と自分の子らの罪のために、雄牛をいけにえとして捧げて、罪の贖いをしました。アロンという人間の大祭司の場合は、自分と自分の子らのために罪の贖いをすることが絶対に必要であることを強調しています。これは新約聖書のへブル人への手紙で、旧約時代のアロンの祭司たちと新約聖書の神の御子イエスの場合の大きな違いでした。「ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえを捧げる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです」(へブル7章27節)。「それも年ごとに自分の血でない血を携えて聖所に入る大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません」(へブル9章25節)。アロンの場合は、大祭司ではあっても、人間に過ぎないので、彼自身が贖いを必要とすることを徹底して自覚する必要があったのです。
大祭司が自分の罪のためにささげる罪のためのいけにえは、まず祭壇から炭火を火皿いっぱいに取り、両手いっぱいの粉末の香を携えて、至聖所に入り、そこで香をたき、煙でいっぱいにすることから始まりました。私もメシヤニックの聖会で、実際にその香がたかれるのを目にしました。それは松脂の粉末のようであり、もの凄い勢いで、もくもくと、黒煙が立ち上るものでした。大祭司は、このような黒煙で至聖所の中、具体的には贖いのふたを、黒煙で包み隠すようにしました。それは贖いのふたの雲の中に顕現される主の栄光によって死ぬことがないためでした。それから、大祭司は雄牛の血を贖いのふたの前面に7度、振り掛けました。メシヤニックの学者によれば、振り掛けるとは、十字を切って振り掛けたと言われています。こうして、自分の罪のために贖いをした後、民のためのいけにえを奉献しました。それはあらかじめ準備された二頭の雄ヤギのうち、くじで決められた一頭でした。この血も垂れ幕の内側の至聖所で贖いのふたの前面に振り掛けられました。そのあと、祭壇の上で7度、振り掛けて、聖別しました。こうして、聖所と会見の天幕と祭壇との贖いを成し遂げました。
そのあと、大祭司は、生きている雄ヤギの頭に両手を置いて、イスラエル人のすべての咎とそむきの罪を、すべて、告白し、この雄ヤギを荒野に放ちました。この「放つ」というヘブル語は、「アーザル」で、そのことから、この雄ヤギは「アザゼルのヤギ」と呼ばれました。アザゼルはすべての咎をその身に負って不毛の地(22節)へ放たれました。ある注解者は、この不毛の地(荒野)を地獄の象徴として、アザゼルのヤギは、サタンを象徴していると考えます。一般には、荒野に放つとは、東が西から遠く、二度と出会わないように、私たちの罪を遠く引き離されたことを象徴しているとして、アザゼルのヤギもまた、キリストの象徴であると考えています。
この大贖罪日は、全き休みの安息の日であり、永遠のおきてであると定められています。こうして、至聖所や聖所や祭壇などが、一年に一度、贖われるのです。しかしこれは旧約時代のことであり、新約時代において神の御子キリストが、十字架上で罪の贖いをされたことにより、罪の贖いを完成したので、もはや、罪の贖いが繰り返される必要はまったくなくなったのです。神の御子キリストの唯一度の贖いによって完成したのです。
きょう、救い主キリストによる罪の贖いが完全なものであることを、改めて、確認しましょう。千年以上にわたって、旧約時代の祭司たちは、毎日、罪の贖いのいけにえを捧げてきましたが、キリストの十字架の犠牲によって、至聖所と聖所との間の仕切りの幕が切り裂かれました(マタイ27章50節、51節参照)。神の御子イエスさまの贖いのみわざを覚えて、大胆に、神の御座に近づきましょう。
清宣教師