23章は、安息日と例祭について記しています。出エジプト記23章14節~19節では、すべての男子が主の前にでなければならない、年に3度の祭が記されていましたが、このレビ記23章では、安息日のほかに、「主の例祭」および「聖なる会合が招集されるべき日」(2,4,7,8,21,24,27,35,36,37節)について記されています。
まず、1節~3節では、主の安息日のことがしるされています。そのあと、4節~44節では、主の例祭が記されています。
その内訳ですが、まず、4節~8節において、一般に「過ぎ越しの祭」と呼ばれている「種をいれないパンの祭」について記されています。第1の月の14日の夕暮れに過ぎ越しのいけにえ(小羊)を主に捧げることから始まります。14日の日没後の15日から21日の夕方まで、種をいれないパンをたべなければなりませんでした。
10節~14節では、「初穂の祭」、パリサイ派とサドカイ派では、その解釈にずれがありますが、パリサイ派の解釈では、1月16日としています。つまり、過ぎ越しから3日目です。過ぎ越しは金曜日のイエス様の十字架、そして、初穂は、過ぎ越しから3日目の日曜日のイエス様の復活をしめすものと理解されます。
15節~22節では、「七週の祭」あるいは「五旬節」、これは収穫を感謝する祭りです。この日は、第1の月の16日の安息日(土曜日)の翌日、つまり、初穂の祭の日(日)から50日目(満7週間が終わる日)ということになります。現在のペンテコステの祭日のことです。使徒の働きでみられるように、この日に、聖霊降臨がありました。
24節~25節では、「ラッパを吹く日」、第7の月の1日に行われました。のちにこの日は「新年祭」とよばれるようになりました。
27節~32節では、「贖罪の日」、第7の月の10日に行われました。この日は、1年にただ一度、大祭司が至聖所に入り、すべての贖いをする日でした。
34節~36節、39節~43節では、「仮庵の祭」について、記されています。第7の月の15日から1週間行われる祭りです。メシヤニックの横山隆先生によれば、この仮庵の祭は、イエス様の誕生(「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた(ヨハネの福音書1章14節参照)」)を示していたのではないかと考えておられます。実際、クリスマスは12月25日ではなく、この仮庵の時期、つまり、現在のカレンダーで9月頃ではなかったかと考えておられます。なお、12月25日をクリスマスとして祝うことには聖書的な根拠はありません。それはそれとして、仮庵の祭に関する40節~42節を読むとき、ワクワクしませんか。家族みんなで、美しい木の実、なつめやしの葉と茂りあった木の大枝、川淵の柳など、家の外に仮庵を造り、家族みんなで過ごすのです。野外キャンプのようですね。果実の収穫の時期です。夜は、木の枝の屋根の隙間から星空が見えるのです。そして、昔、イスラエルの先祖たちは、エジプトを脱出して後、荒野において仮庵で生活したこと、そこでは、マナが降り、いつも、主の守りがあったことを家族みんなで語りあい、その時のことを覚えるのです。
1年という節目を与えて下さった創造主は、季節の節目、新月の節目だけでなく、例祭という節目を与えて下さいました。また、毎日が連続しているのではなく、安息日という週ごとの節目も備えて下さいました。創造主の御計画は、私たちが人生の節目、節目を大事にして、リフレッシュすることを願っておられるようです。気力、体力、免疫力のアップのために、メリハリの効いた生活を心がけましょう。昼と夜のリズムも大事にしましょう。
清宣教師