レビ記の25章には、安息の年とヨベルの年に関する規定が記されています。
1節~7節は、安息の年の規定で、7年目に畑を休耕地とする規定です。この年の収穫は、社会的に弱い立場の人たちの食料となりました。
8節~22節は、ヨベルの年の規定で、ある安息の年から7回目の安息の年、つまり50年目の第7の月の10日の『贖罪の日』に、ヨベルの年が宣言されました。そこで、すべてのイスラエル人は、自分の所有地と家族のもとに帰ることが出来ました。たとい奴隷として売られていても、無条件に、奴隷から解放され、土地も返ってきました。ヨベルの年には、土地は本来の所有者に戻されるので、土地売買の時には、ヨベルの年から逆算して、収穫の回数に応じて地価を算定して決めるようにと規定されていました。とくに、「あなたがたは互いに害を与えてはいけない。わたしはあなたがたの神、主である。」(17節)と記されています。これらの経済活動において、お互いに害を与えないということが原則でした。なぜなら、それが、主のみこころであり、主の民は、そのみこころに従う時祝福されるのです。
23節~28節には、「買い戻しの権利」について記されています。先祖伝来の土地は、「買い戻しの権利」を放棄して売ってはならないこと、ヨベルの年には、必ず、元の所有者に返還されなければならないという規定です。なぜなら、本来、これらの土地は、創造主なる神の所有地であり、イスラエルの人たちは、その土地の借地人にすぎないからです。神がそれぞれの部族や家族に与えられた土地は、主のみこころに従って、必ず、元の所有者に返すべきなのです。
29節~34節では、城壁の中の家屋の場合、1年間は買い戻しの権利が有効であるが、それを過ぎたなら、買い戻しの権利は消滅し、その土地は買い取った者の所有となります。ヨベルの年にも返却する必要はないのです。ただし、城壁のない町の場合は、これは適用できません。買戻しの権利は生きているのです。レビ人の町々の家屋の場合については、レビ人に、いつでも買戻しの権利がある事が記されています。
35節~38節は、貧しいイスラエル人に対して、利息をとってはいけないこと、食物を与える時、利得を得てはならないと規定されています。イスラエルの民は、昔、エジプトで奴隷であり、貧しかった時、主が養って下さったからです。主の民は、気前よく、貧しい人たちに与えるように勧められています。
39節~46節で、奴隷に関する規定が記されています。イスラエル人の同胞を、どんなに貧しくても奴隷としてはならないこと、住み込みの雇い人としなければならないと規定されています。
47節~55節では、外国人に身売りした場合の規定です。イスラエル人が在留異国人に身売りした場合、「買い戻しの権利」が保証されます。買戻しができなかった場合でも、ヨベルの年には、自由の身となります。
以上ですが、イスラエルの民たちは、最初は、創造主であり、贖い主である神の前に、へりくだり、その通り実行していましたが、やがて、経済活動が活発になり、裕福な人たちが増えてくると、現実問題という考えが、白アリのように、これらの規定の中に忍び込みました。結局、少しずつ、少しずつ、安息日の規定も安息年の規定も、なし崩しにされていきました。そして、神の祝福を失ってしまったのです。私たちもせっかく、みことばを通して、祝福の大原則を教えられていても、現実問題という惑わしによって、祝福の土台である大原則から離れてしまう恐れがあります。
きょう、告白します。私たちのすべては創造主のものであり、私たちの人生は贖い主によって与えられたものです。主は与え、主は取られる。主こそ、私たちの主権者でおられます。
清宣教師