昨日の28章では、①常供の捧げ物、②安息日の捧げ物、③新月の捧げ物、④種をいれないパンの祭の捧げ物、⑤七週の祭の捧げ物、などについて記されていました。今日の29章では、⑥~⑧の捧げ物について記されています。
⑥ラッパの日の捧げ物(1節~6節):7月1日は、特別に1年に一度の祭であり、毎月の新月祭の捧げ物とは別のものでした。それで、捧げ物も、通常の新月祭の捧げ物に加えて、捧げるべきものでした。それに、当然、常供の捧げ物は別に捧げられました。とくに、この日は、ラッパが吹き鳴らされました。
⑦贖いの日の捧げ物(7節~11節):7月10日の贖いの日の捧げ物の詳細はレビ記16章に記されていた通りです。
⑧仮庵の祭の捧げ物(12節~38節):7月の15日から始まる仮庵の祭については、第1日から第8日までのいけにえの捧げ方について、詳しく記されています。最初の日(12節-16節)、第2日(17節―19節)、第3日(20節―22節)、第4日(23節―25節)、第5日(26節―28節)、第6日(29節―31節)、第7日(32節―34節)、第8日(35節―38節)です。詳しく見ると、第1日では捧げるべき若い雄牛が13頭ですが、ほかに、雄羊2頭、一歳の傷のない雄の子羊14頭となっています。そして、雄羊や雄の子羊の頭数は毎日同じですが、若い雄牛の頭数だけは、二日目は、12頭、三日目は11頭、四日目は10頭、五日目は9頭、六日目は8頭、七日目は7頭となっています。つまり、日を重ねるごとに、若い雄牛の頭数は1頭づつ、減っています。しかし、八日目は、若い雄牛1頭、雄羊1頭、一歳の雄の子羊7頭となっております。つまり、八日目の捧げ物は、7月10日の贖いの日の捧げ物と同じとなっています。その理由については、記されていません。そして、これらの締めくくりのことばとして、「あなたがたは定められた時に、これらのものを主にささげなければならない。これらはあなたがたの誓願、または進んでささげるささげ物としての全焼のいけにえ、穀物のささげ物、注ぎのささげ物および和解のいけにえ以外のものである。」と記されています。つまり、28章と29章の捧げ物は、日ごと、週ごと、月ごと、年ごとの捧げ物についての規定であり、個人の誓願や自発的な捧げ物とは別である事が記されています。28章から29章で記載されている捧げ物は、いわばイスラエルの公けの捧げ物の規定です。これらの祭は、キリストの救いの計画の予表あるいは影としての意味を持っています。仮庵の祭は、イエスの降誕(ヨハネの福音書、1章14節参照)、七週の祭は、聖霊降臨(使徒の働き、2章参照)、過ぎ越しの祭は、御子の受難(ヨハネの福音書19章参照)、そして、初穂の祭は、御子の復活(コリント人への手紙第1、15章20節参照)を表しています。
「イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」(ルカの福音書24章25節~27節)と記されています。ここで「聖書」全体とは当時の「旧約聖書」を指しています。新約聖書に記されている救いの福音は、すでに旧約聖書の中に秘められた宝として隠されているのです。ですから、私たちが悟りを得るなら、それが、イエス様の十字架の贖いと復活を指していることが分るのです。旧約の祭には、いろいろなことが隠されています。新約聖書は旧約聖書の土台の上に成り立っているのです。旧約聖書は新約聖書とは無関係ではなく、土台です。ですから、旧約聖書を知ることは、イエス様の贖いと復活の福音をより深く知ることになるのです。この1日1章の学びも、私たちの信仰の土台を築く助けとなるのです。清宣教師