主は、もういちど、10のことば(十戒)を書き記してくださいました(4節)。主は恵み深いお方です。振り返ってみると、さきに、十戒を与えて下さった時は、シナイ山のふもとで、アロンを始め、イスラエルの民たちが、モーセの帰りを待ちきれずに、自分勝手に、金の仔牛を造り偶像礼拝をおこなっていました。それで、モーセは、主から授かった十戒が記された石の板を砕いたのでした。それにもかかわらず、主は、恵みを施し、民たちを赦し、しかも、もう一度、十戒を、みずからの手で書き記して下さったのです(4節)。イエス様は、ペテロに対して、他の人たちの過ちを70の70倍も赦すように命じられました。イエス様ご自身は、何度も、何度も、繰り返し、赦して下さるお方です。そして、もう一度、主の教えを、私たちの心に書き記して下さるのです。
さて、イスラエルの民の中から、レビ族が契約の箱を運ぶなど、主の前に仕えるものとして、12部族の中から選ばれました(8節)。その後、イスラエルの12部族は、それぞれ、相続地を割り当てられましたが、レビ族には相続地の割り当てはありませんでした(9節)。それは、天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものを所有される、主なる神ご自身がレビ族の相続地となったからです(9節、14節参照)。霊的には、主なる神ご自身を相続することが最高ですが、しかし、日常生活においては、目に見える祝福、そのほうに、私たちの心が惹きつけられるように思います。クリスチャンも、天地万物を創造された神のこどもたちとして、天の御国を相続するものです。私たち人間は、宝のあるところに、心があるものです。そのことを主はよくご存知です。この世での祝福は素晴らしいのですが、人間の弱さ(肉の性質)が、地上での宝に心を奪われてしまう恐れが大きいです。主ご自身が、私たちの相続分であり、天の御国が、私たちの相続地であるということは、私たちの心を、サタンの誘惑から守る強固な土台となるように思います。私も、個人的に、70代の人生を迎える前に、主から約束のみことばをいただきました。「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」ダニエル書12章13節です。
「今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。」(12節)。ここを読んだとき、ハッとしますね。「今」とは、今日のことですね。主は私に何を求めておられるのでしょうか?何をすることでしょうか?何になることでしょうか?何ができるようになることでしょうか?何に成功することでしょうか?この問いの後には次のように記されています。「それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたの幸せのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。」(12節、13節)と記されています。つまり、天と地のすべてを創造された主を、心に覚えて、愛することです。そして、全身全霊で、主に仕えることです。仕えるとは、別のことばで言えば、礼拝することです。イエス様、わたしはイエス様を愛しますと、心を捧げることです。そして、みことばに生きることです。
主は、みなしごや、やもめ、在留異国人を愛しておられます(18節、19節)。私たちの神は、神の神、主の主、偉大で、力あるお方ですが、私たちのような、小さな存在を決して忘れることなく、とても、大切にしてくださるお方です。だから、私たちも、とくに、身寄りのないひと、頼る人がいない人を、大切にするように勧められています。きょう、主のみこころが天において成るように、この地においても成就するように共に祈りましょう。清宣教師