申命記11章11節~15節において、次のように記されています。
「あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天の雨で潤っている。そこはあなたの神、主が求めれられる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、わたしは季節に従って、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。」
現在の「1日1章」というメールの配信をするようになる前のことでが、当時、「山あり谷あり」という名称で配信をしていたことがありました。そのメールを受け取られた一人の姉妹が、「山あり谷あり」という名称から、困難を乗り越えるイメージをもっていたけれども、神様の祝福の絶えない人生という意味だったのですね、というような返信をいただいたことを思い出しました。私たちは、一般的に、「山あり谷ありの人生」という表現をしますが、それは困難に満ちた人生という意味です。しかし、きょうの申命記の11章11節~12節を読む時、まったく、違った意味をもっています。そこは、山あり、谷ありで、いつも、天の雨で潤っている地です。年の初めから、年の終わりまで、主が絶えず、目をとめておられる地です。つねに、主の祝福が伴う相続地です。同じ、「山あり、谷あり」の場所でも、主からいただく相続地は、天の雨で潤い、主が絶えず、目を留めておられるところです。
「置かれた場所で咲きなさい」という本がベストセラーになっていますが、私たちの置かれた場所が、私たちの相続地です。そこは、天の雨で潤される約束が成就する場所です。天の雨とは、聖霊様の象徴です。主が与えられたこの場所で、美しい花を咲かせてください。天から、聖霊様の雨を豊かに注ぎ、私たちの魂を潤してください。絶えず、潤してください。
日本では稲作が主体であり、6月頃が梅雨の季節です。そして、田んぼが潤い、畑が潤い、作物が育ちます。一方、イスラエルでは、小麦の栽培が主体であり、種まきのための「先の雨」とは、種蒔きの季節である秋に降る雨です。また、豊かな収穫のために穂が育つ「後の雨」とは、春に降る雨の事です(14節)。主は、季節に従って、穀物や果樹の生育のために雨を与えて下さると約束してくださいました(14節)。主は、私たちの人生の季節に応じて、必要な聖霊の雨を与えてくださいます。つまり、思いっきり成長する時期、そして、豊かな実を結ぶ時期に、聖霊様の祝福の雨が注がれるのです。
神のみことばに生きる人生こそ、主からの約束の相続地です。今日も、明日も、主のみことばに留まります。古い自我、肉の思いとの戦いがありますが勝利します。みことばに生きる人生こそ、主からの相続地です。主よ、私たちの人生を祝福して下さい。実を結ばせてください。天からの聖霊様の雨によって、私たちの魂、私たちの霊を豊かに潤してください。私たちの日々の手のわざを祝福してください。
清宣教師