1節~9節では、神についての最も根本的なことが示されています。これらの教え(おきてと定め)は、これから所有しようとしている地で実践するためのものです。そこで、最も大事なことは、「主は私たちの神、主はただひとりである」ということです。ゆえに、これから入ろうとしている地で行われている偶像礼拝の波に呑込まれていはいけないのです。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と命じられています。そして、それを心に刻むだけでなく、自分たちの子どもたちに良く教え込まなければならないのです。家の中でも、道を歩いている時にも、寝る時も、起きる時も、これらの教えを唱えること、さらには、その教えを手に結び付け、額には記章として結びつけるのです。また、家の門柱と門に書き記すのです。つまり、私たちの家族は、主の教えに従う者です、という家族としての信仰の告白です。偶像礼拝の盛んな異教の土地の中で、主を礼拝することを鮮明にすることが求められています。主の民としての特権を受けているからには、この地において主の民として証する責任があるのです。
10節~19節では、約束の地に入り、主の豊かな祝福を受け、あなたが食べて満ち足りる時、「主を忘れないようにしなさい」と警告されています。すべてのものを与えて下さる主の恵みあずかり、平安と繁栄が実現する時、そのときこそ、主を忘れないようにしなければならないのです。これは8章でも繰りかえし、警告されていることですが、食べて満ち足りる時こそ、主から離れやすい時なのです。つまり、自分の知恵で判断し、自分の力でものごとを成し遂げようとしてしまうのです。「主が正しい。また良いと思われることをしなさい」と命じられています。そうすれば、敵は追い払われ、良い地を相続することができるのです。
20節~25節では、子弟教育の勧めですが、ここでは、とくに、息子の質問に答える形での信仰の教育モデルが示されています。こどもたちの心の中に霊的な飢え渇きが起こるような家庭環境を目指すことです。そのためには、親自身が、主の教えを心に刻むことです(6節)。そのとき、こどもたちも関心を持つようになるのです。約束の地は、奴隷の地ではなく、砂漠でもなく、荒野でもありません。約束の地は、平安で豊かな地です。そこで、主を愛し、主を忘れないという、新たな戦いが始まるのです。これがどんなに厳しい戦いであるかは、のちのちの士師記や歴史書で明らかになります。
今日の個所で教えられることは、自分たちの子弟を教育するためには、様々な工夫が必要であるということです。現代の私たちも、幼児教育や小・中・高校生のための教材が備えられています。それらを活用することが必要です。さらに、キリスト教の世界、とくに日本人のこどもたち向けの教材がまだまだ不足しております。青少年向けの教材も、さらに魅力的なものが必要とされています。とはいうものの、じつは、良く調べてみると、デジタル教材なども備えられています。お互いに情報を交換して、良い教材を手に入れることが出来るように、工夫しましょう。
私たち自身も、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と言われています。「尽くして」と記されています。「尽くして」とは、ありとあらゆる手段を試みて、これ以上何もないということです。おおきなチャレンジが与えられています。この大きなチャレンジを、自分自身へのチャレンジとして、受け留めましょう。主よ。御霊に満たして、このチャレンジを受け留めさせてください。
清宣教師