今日の個所は、3大祭りについて、記しています。まず、種を入れないパンの祭(過ぎ越しの祭ともいいます)(1節~8節)。次に、七週の祭(五旬節、ペンテコステの祭ともいいます)(9節~12節)。最後に、仮庵の祭です(13節~15節)。
それらをまとめたものが、16節~17節です。
「あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。あなたの神、主が賜った祝福に応じて、それぞれ自分のささげ物を持って出なければならない。」。前にも書きましたが、イスラエルの男子はみな、年に3度、主の選ぶ場所に出て、礼拝することが求められていました。3大祭りを覚えるには、3大祭りの頭文字を並べて、「田中さんは、祭が大好き」でしたね。「た」は、種いれぬパンの祭、「な」は、七週(ななしゅう)の祭、「か」は、仮庵(かりいお)の祭です。
まず、種を入れないパンの祭ですが、出エジプトを記念する祭りでした。イスラエルの民はエジプトにおいて奴隷の民でした。しかし、アブラハム、イサク、ヤコブの神が、一方的な恵みをもって、モーセを遣わして、イスラエルの民を救出して下さいました。つまり、大事なことは、主の救いのみわざが先行したということです。まず、主が一方的に恵みを持って救いをなしてくださったのです。それに対する応答として、祭りをおこなうのです。昨日の15章では、イスラエルの民は、気前が良い民である、と強調しましたが、それは、イスラエルの神こそ、気前の良いお方だからです。つねに、神が先行されているのです。私たちはその模範に従っているにすぎないのです。
さて、種いれぬパンの祭りのなかで、「悩みのパン」(3節)という表現が出てきます。過ぎ越しとは、一方で、「悩みのとき」を表しています。それを象徴するのが、パン種(イースト菌)をいれないパンです。つまり、パン種をいれるなら、ふっくらとしたやわらかいパンが出来上がりますが、パン種がない場合は、クラッカーのように固いパンとなってしまいます。彼らは出エジプトにあたって、パンを準備する時間がなかったのです。緊急脱出でした。エジプト人の家々の長子が死に、エジプト王パロが急(せ)き立てる中を脱出したのです。小羊の血潮による守りの中での緊急脱出でした。
さて、七週の祭ですが、五旬節、またはペンテコステと呼ばれるように、のちに聖霊降臨による教会の誕生の日となりました。11節で「喜びなさい」と命じられています。最後の仮庵の祭では、祭りの期間、仮庵に住むようにと命じられています。仮庵を作る材料は、美しい木の実、なつめやしの葉、茂り合った木の太枝、川縁の柳でした。現代のイスラエルでは、柑橘類、ルラブ、ミルトス、アラバアと呼ばれる植物が使われていると言われています。ここではさらに、「大いに喜びなさい」(15節)と記されています。
すべての祭に共通することは「自分の捧げ物をもって、主の前に礼拝すること」でした。主は、私たちのために、悩みの時に始まり、喜びの時、さらに、大いなる喜びの時を備えて下さっています。しかし、悩みも、喜びも、大いなる喜びの日々も、すべては主の御計画の中にあります。ですから、どのような日であっても、私たちは主に信頼して、主に捧げものをして、主を礼拝します。どんな時も、主はわたしの力です。涙の谷を過ぎる時も、そこを泉の湧くところとします。きょうも、この1日を感謝します。
清宣教師